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ブログ:ココログ

2009年1月25日 (日)

信仰というもの-6

Dsc00038  教会にも色々ある。一般的には古めかしいものが教会と思しきものだが、時には思いも寄らない形を見せる教会もある。威厳や尊厳ではなく優しさに包まれるような教会の姿も心を落ち着かせる力があることを、この教会は教えてくれる。1950年から1955年にかけて建設された白亜の教会は不思議な生命力を見るもの訪れるものに与えてくれる。光と陰を演出する魔術師でもあるル・コルビュジエのロンシャンの礼拝堂である。決して真っ直ぐではなく微妙に湾曲する曲線によって構成されたデザインは、重厚でしかも軟弱なコンクリートを壁から浮かし、屋根の先端を船の穂先のように曲げきったことで、見事にこの世のものではない異空間を演出しきった点で敬服する。
 人々はこの教会に来て祈りを捧げる。父なる神への畏怖と聖母への感謝を日々の生活の支えにしてロンシャン村の人々は生活を送る。周囲から見通しの良い小高い丘の頂上にそびえ立つ教会を仰ぎつつ、日々の暮らしが営まれている。フランスの1955年は第二次大戦後の復興の時期、疲弊した国民の心に生きる力を与えることが求められていたに違いない。そこにコルビュジエが思いを込めた絶妙な建築作品が生まれた。それまでの彼の作風からは考えられない造形美が出現した。それは、どこか信仰の力に支えられたデザインだったのかと思うのは私だけではあるまい。

2009年1月16日 (金)

信仰というもの-5

Rimg00201  パリ郊外ミリー・ラ・フォレにジャン・コクトーの壁画が全面に描かれた教会がある。コクトー本人が眠る教会として日本からも多くの訪問者があるようだが、この教会への訪問者は、日本的に言うと『墓参り』をしているようなもの。故人をしのんで、芸術としての美術品を鑑賞する教会でもあり、必ずしも信仰の対象として捉えるのも無理がある。
 同様にフランス・ノルマンディー地方にある『リンゴの礼拝堂』では日本人の田窪恭二氏が古い教会を修復しつつ林檎をテーマにした壁画を描いたという。それまで朽ち果てていた古い教会を日本企業の支援を受けて、観光名所に仕立て上げたということには敬意を表するが、実際には信仰としての教会としての機能は終わっていたのだから、今更という気もしないでもない。
 どちらの教会も、訪問するにはバスやタクシーを乗り継ぐという大変さがあるが、希少価値であることには変わりないので周辺の環境や村落の様子などの観光を目的とした旅であると面白みもあるが、それだけを目的とするには余程、強い興味を持っていなければ行くだけで時間を取ってしまい、短い旅程をさらに短くしてしまうことになりかねない。

 改めて信仰ということを考えると、教会がすなわち信仰の対象ではないことに気づく。ある意味では文化財であったり、個人の墓であったり、ある時は美術館であったりと、当初は宗教的な意味合いが強いのだが、別の用途でも使われている中で、朽ち果てたり再生されたり、改造されたりという変遷をたどることがわかる。そこには神は宿っていないのかもしれない。

2009年1月15日 (木)

信仰というもの-4

Dsc00004  神を信じるという気持ちは、母なるものや父なるもの、大地や自然や未知なるものへの畏怖など、自らの力では贖えないものに対する降伏とか降参の感情を表すこと。また神のご加護を求めたり神からのお告げを崇め立てることも、神への従順と自我では制御できなくなった感情のコントロールを依頼する行為のように思われる。これはすべて神の力ではなく本来の自らの力で、脳内の混沌を整理し処理している機能を神に転嫁して、孤立して孤独な苦悩から解放させようと言う人間の脳の作用だと考えるのが科学だと思っている。
 15年ほど前にウィーンを旅したときにフロイドの博物館を見学したことがある。ナチスから逃れていた時に生活した住まい兼書斎を公開しているのだが、町中の薄汚れた木戸を開けて解放され整理された室内の写真や家具などが当時の様子を醸し出していた。とりわけ人の心を扱う学問を探究するという、たぶん『神を恐れぬ行為』に対して当時の社会はどのように受け止めていたのか、気になるところであるが、心の混沌を精神分析という方法で解明していく手法は見事だと思っている。『連想法』『夢の精神分析』『無意識の概念』など知れば知る程、奥の深い学問であることに気づく。
 心の問題はやはり信仰と重なるところが多い。自らの心の平穏を求めるために神を信じるのであれば、自らの心の機微を自らが見定めることができれば、『自問自答』という心の整理法も幅を持ってくるもので、神に頼るよりも懺悔室に入るよりも、自ら深く悩み、その解決に向けて心の奥底を覗いて見ることができるはず。ここで言う『心』とは『脳』と言うべきかもしれないが、心の動きと心臓の動きが連動するものだから、表現としてはハートになってしまうのは非科学的な証。フロイトによって少しは人の心に科学の目が入ったとすれば、少し信仰というものの中身が理解できるのではないかと思うのだが、、、。

2009年1月10日 (土)

信仰というもの-3

 信仰が生活の機軸になっていた時代から、少しずつ科学的な解明が成されてきて、何でもかんでも信仰との結びつきで生活機軸を整えなくても良くなってきたことを感じるのに、遺跡などから過去を創造することで理解することができる。ピラミッドやイースター島、ストーンヘンジや各地のストーンサークルなど天体観測や暦などの生活軸と関連したものが、当時の生活の中に信仰として浸透していた姿をかいま見ることができる。いわば自然に対する敬意と共に自然と融和するための方法を模索し、宗教的な行事との共生を講じてきた歴史であろう。これは科学的な探求心と共にアニミズムという自然崇拝が共存し、次第に宗教性から離脱していった課程があると考えることができる。
Rimg06511  一方、日常的な心の浮沈を安定させる信仰がある。愛憎に代表される気持ちの持ち様や心の安定を保つための拠り所としての信仰は、より現実的な人と人の関係にゆだねられる。そして、その対象としてキリストであったりマリアであったり、仏陀もアラーも登場する。写真はドイツ・アウグスブルグにある世界最古の社会住宅の壁に穿たれたマリア像。日常の生活の中でクロスを伐っていたに違いない。日々の生活を見守ってくれる神への信仰は、大きな意味での安心安全と共に心の安定を求めた人々の要請に基づいた宗教的な価値であったと思われる。もちろん現在もなお、教会でのミサなどでのお祈りや、神父などに心の中を吐露する懺悔室などの装置はまさに心の平穏のためのものであり、キリスト教文化に根強く残っているものだと理解している。
 こうした信仰心については、自然環境の安定を維持するための暦や気候などに関することと、人の心の中の安定に必要な信仰とが二つ存在するのだと考えるとわかりやすい。自然に対する信仰は、誤解を恐れずに言うと、日本的に言えば『神教』であり、心の信仰が『仏教』であるのかもしれないが、何れにしても科学という切り口で少しずつ解明されていることを今後、考えてみよう。

2009年1月 9日 (金)

信仰というもの-2

Photo 街角で拝むことが普通の社会がある。写真はタイ・バンコックでの風景である。江戸時代には日本にも至る所でこうした風景があったのだと思う。たとえば、家の中にも神棚だけではなく台所の竈の上にはお札があり、玄関にも水場にも家内安全などの神々があふれていた。またみんなが共用する井戸端には井戸を覆う屋根を支える柱や貼りにお札が貼られていた。
 こうした日常の信仰はいつのまにか消えていって、今では神社や寺院で見かけるだけになったとは思うが、3月3日はひな祭り、5月5日はこどもの日として節句が継承されていて、正月休みやお盆休みの習慣も当たり前に続いている。これはキリスト教社会ではキリストの聖誕祭が休みで、ヨーロッパなど旅をしていると24日は神聖な日で、25日には店が開いていないことに気づかされる。特に正月休みの帰省客が日本では暮れに集中するが、ヨーロッパでは23日や24日に帰省する人が多く、一度、ローマからの帰省列車に乗り合わせたときはコンパートメント(日本の片廊下型の寝台列車と類似)の車両の廊下にすし詰めになったことがあるが、いやはや大変な思いをしたことがある。
 こうした人間の生活習慣を形づけているものが、もしかして信仰という身に染まった規範であるとすれば、なぜか混み合った状態に違和感を感じないで共に享受してしまう信仰という安心感が、宗教に問わず潜在するということになる。つまりそれは集団生活をすることで保たれる人類の生息のためのDNAとして刻印されている性癖があたかも宗教行事というか生活習慣として現実化しているシーンであると言えるのではないだろうか。
 ともすれば、宗教や宗派によって紛争などが発生する中で、人間の根本には宗教宗派の違いは関係なく、共に生きるという安心感に頼っている『共生依存』という心理的な安定が潜在するのではないかという結論が生まれてくる。こうして見ると、信仰とは心の安定を確保するもの以外にはなく、人間を科学的に解明すればするほど、宗教と信仰の違いを明確にでき、世界の宗教紛争も少なくなるように思うのは私だけか。

2009年1月 7日 (水)

信仰というもの-1

Dsc_5686 信仰を考えたことがないのに信仰を語るのは難しいかもしれないが、日本人であることからか、いつの間にか正月には近くの神社に初詣したり、七五三には子供を神社に連れて行ったことがある。とりわけ着飾って行くわけではないが、何かに操られているように神社詣でや寺廻りをする。ついつい賽銭を入れてみたりする。
 海外に行くと、必ず地域の宗教行為に巡り会う。教会であり寺院でありモスクである。それぞれの地域に根ざした宗教があり、地域には必ず宗教にまつわる場所が観光スポットにもなっている。つまり宗教施設はその地域のアイデンティティであり地域を理解するための最も基本的な施設であるという事なのだろう。写真は台湾の様子である。背中にJAPANのネームが入っているが日本人ではないと思われ、線香の上げ方も堂に入ったものである。
 同じアジアでも日本の仏教に関わる信仰は、もっとさらっとしているように見受けられる。香港、上海、タイ、シンガポール、ベトナムと熱帯のその地を訪ねて見たが、日本のそれとはどうも違うようだ。これを戦後教育の政教分離思想に原因するものだと一掃するのは簡単だが、それにしても日常生活に残っている誕生から葬儀や法事などの儀式、そしてお宮参りや寺の維持に関する仕組みなど、自らの意志ではなく組み込まれた暮らしがある。こうした宗教と生活との結びつきについて少し整理してみようと思う。

2008年5月11日 (日)

地球の怒り

 

Rimg0122_2 ミャンマーのサイクロン被害が確定できない状況が続いている。軍事政権での被災者の状況が気がかりだが、こうした災害は近隣諸国でも起こりうることを表していて、前回のタイ バンコクでの水上住宅はひとたまりもない。実際、昨年訪れた水上住宅の後背の寺はチャオプラヤー川の増水で水浸しになっていた。水上住宅については盛んに再開発が行われており、護岸堤防整備などが進められてはいるものの、決して河川堤防は高くなく、サイクロンなどの影響で壊滅的な被害を受けることも可能性は高くなっている。
 バンコクは河川によって海運と農耕によって栄えた都市であるのだが、そのことが被害を増大する要因にもなっている。同様に日本でも伊勢湾台風に見られるようにゼロメートル地帯は常に危険が増しており、海水位の上昇や排水機能を越える雨量の発生は簡単に一体を水浸しにすることになる。思いがけない災害が起こったときに、改めてその影響におののくのが人間なのだが、地球温暖化がもたらす悲劇は、被災後の対策では手遅れで、前もって準備することが重要である。
 しかし、実態はすでに対策が間に合わないほど、事は進んでいて、そのとき、人々は何をするのかと考えると、結局は「転ばぬ先の杖」はつけず、転んでから骨を折り、松葉杖をつきつつ「骨折り損のくたびれもうけ」になるのが落ち。自然現象を擬人的に表現するとこうした災害の到来は「地球の怒り」とでも言えようが、要は人間社会が地球環境のバランスを欠いた結果、必然的に自然環境の平衡活動が現れていることで、地球が環境バランスを整える為の自然現象課程なのだと理解できる。それが人類の文明レベルでは対応できないほど振れてしまっている自然現象になってしまったことだと考えれば不思議はない。だとすれば変化した地球環境にどのように適応するかが人間の次の一手になるのだが、地球温暖化に対応した対策はすでに手遅れで、大災害を受けつつ改善を進めていく環境破壊のしっぺ返しに追われる状況が続くのだと思っている。
 

2008年5月 6日 (火)

ミャンマーのサイクロン

Rimg0129  ミャンマーにサイクロンが5月2日から3日にかけてヤンゴンを襲った。死者が1万5千にも上ろうとする実態に、日本への報道は5月5日になって軍事国家の情報統制か、国連支援にもようやく門戸を開けたミャンマー国民の状況がある。国家の問題は別としても自然災害の恐ろしさはきわめて恐怖である。
 写真はタイ、バンコックの水上住宅の姿である。昨年の写真であるが、同様に危険であることは否めない。同様な災害に見舞われたらひとたまりもない。
 4月28日に米国バージニア州を襲った三つの竜巻。5月2日、鹿児島県種子島で竜巻発生、最近は日本各地で竜巻の被害を聞き始めた。日本での被害状況は屋根を飛ばされたり窓ガラスが割れたりと、建物被害が主だったものだが、確実に災害の頻度は増えてきて、危機感さえ感じるのは私だけか?

 日本の木造家屋の耐力は風圧力で決まっている。地震力ではなく風圧力に対する耐力を限界に設計されている。想定された時代には、地球温暖化の問題は議論には上っていない。最近の爆弾低気圧の発生や台風の規模拡大に伴った対策は無策と言っていい。その木造建物が大半を占める日本の住宅事情のなかで、この気候変動が顕在化した今、被害は拡大することはあっても収束はしないだろう。
 木造の耐震化が叫ばれている。確かに震災に対する耐力の増強は必要だ。しかし、より現実的に風害に対する対策は緊急課題だと思える。毎年来る台風が、運良く避けてくけるとは限らないし、2005年8月アメリカのハリケーンカトリーナでの大被害、2008年、今回はサイクロンでの大被害、今度来るのはタイフーンの大被害を予測しても誰も絵空事だとは言わないだろうと思う。それだけ地球温暖化は待ったなしなのだから。。。

 

2007年2月18日 (日)

フランスの住まい その4

2_1  フランスが農業国であることは、少しフランスを意識すると記憶の底に残るのだが、それ以上に都市への集中を政策的に押し進めてきた国である。とりわけパリはヨーロッパの中心としてして発展していて、多くの移民を受け入れるという寛容さの中で多国籍な都市を形成していった。北に海峡を越えてイギリスがあり、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツ、スイス、イタリア、そして南にモナコ、アンドラ、スペインとの国境を持ち、しかもアジアやアフリカ、カリブ海周辺への植民地政策によって多国籍の国ができあがった歴史がある。こうした国民をフランスは受け止め、今日に至っている。

 農業国フランスの原点は郊外に住み農を営むフランス人に源を発するが、パリなどに集中する移民などによる新国民は様々な差別を受けているようで、フランスの憂いを様々なシーンで耳にする。2005年のパリ郊外の少年達による暴動は移民に対する差別から始まった。高福祉の国フランスは移民に対しても手厚い福祉があり、福祉を受け続けることで働かなくても生きていけるという環境が整っているという。

 親が社会住宅(日本で言う公営住宅)に住み、生活補助などを受けて育った子供は働くことを知らずに大人になり、自分も生活補助を受けて生活するようになるという。親が移民でフランス語が解らないので働けないことから、子供も働くことの意欲を失っていくという過程があり、保護と教育のバランスが取れていない状況であるようだ。2005年の暴動もこうした不安定な若者の就労癖に対しての雇用者側の言い分が、スケープコートにされたこうした立場で育った若者の憤懣のはけ口として暴徒化したわけで、元はフランスの移民に対する政策上の問題であるようだ。

 写真はパリ郊外の社会住宅である。要塞のようでもあり、収容所のようでもある。一カ所に押し込める政策、それこそが問題を生んでいるようにも思える。移民政策は区別するものではなく解けさせるもの。まさに混血文化の推進が必要なのではないだろうか。

2007年2月13日 (火)

フランスの住まい その3

Photo_42  人間は体温を維持したり、虚栄を張るために衣類を使うし、生きる体力や成長するために食事を採る。そして雨露をしのいだり権威を鼓舞するために住まいを確保する。ただ、原点は生き残るためであり、その為の衣服や食事や住まいである。その原点は集落に観ることができる。

 日本でも農家や漁村集落が住まいの原点のように思えるし、未だ田舎に行けばその風景を目にすることが出来る。その風景は世界各国で異なるので、それこそが観光のポイントにもなり、多くの田舎を訪ねることがある。フランスにも田舎があり、いや田舎ばかりかもしれないが、観光スポットではない田舎の風景は心を穏やかにしてくれる風景である。

 そういえば海外から日本への観光客が日本の田舎を観光するなんて光景はあまり見受けないように思えるのだが、日本の田園風景は美しいのだろうか。田園風景も漁村集落の佇まいも基本は人が生活を営んでいることが必要で、単なる見せ物小屋であるとその風景価値は半減する。博物館ではなく生きた生活を観て体験することが観光の意義だと思うし、その国の真の姿が見えるのが観光だと思う。その為に日本人も普段着の美しさに目覚めたい。

 

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