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2017年6月30日 (金)

『東京都都市整備局、社人研』多摩ニュータウンの高齢化が何を齎すのか

 「多摩ニュータウンは急速に高齢化して最悪の状態になる」という恐れを抱かせるのが報道です。以前にも紹介しましたが、東京都市部の高齢化指数推移を示したグラフですが多摩市と稲城市が群を抜いていま歳。これは2005年をベースとした75歳以上の人口を指数化して表したもので、実際的な高齢化とは異なるイメージを印象づけます。その為に改めて実数を比較するために、最も高齢化指数が高くなった多摩市と最も低い指数だった武蔵野市を実数比較してみましよう。そうすると武蔵野市の高齢者数はずっと伸び続けているのに対して多摩市の高齢者数は頭打ちの状態になることがわかります。それも予測した2035年の高齢化率は、多摩市が35.4%であるのに対して武蔵野市が29.3%となりますが今後伸び続けていくのです。未来の武蔵野市の高齢者率は多摩市より高くなる可能性もあるます。

 ある意味では高齢化の「指数グラフ」は嘘つきです。あたかも多摩市の将来を暗くさせる仕業です。たまたま指標とした2005年の高齢化が他よりも低かったことが指数グラフでの高騰に繋がりました。これが「高齢化率」の推移指標だとすれば誤解はなくて済んだものを「75歳以上の人口指数」としたものだから「とんでもグラフ」になったのだと思います。それを為政者が見て、さらに吹聴したものだから誤解が誤解を産んで「多摩市の高齢化は東京市部ではトップになるのだ」というコメントが飛び出てきたのだと思います。

 さて、改めて武蔵野市と多摩市の将来人口構造を比較すると、多摩市の場合には年少人口も2035年には7.4%で武蔵野市の7.0%より多いという結果です。少子高齢化を憂う自治体の行末をどのように見守るのか、再開発の進む国立市へのあこがれと、少し開発の止った多摩市との比較をどう評価するのか、このブログを読んでいてくださる皆様にも考えてもらいたいのです。確かに私は多摩ニュータウンフェチですが、決して統計的なフェイクを押し付けようとは思いません。確実に真実を知り、その上で多摩ニュータウンの活かし方を考えたいと思っています。私自身の考え方としては、「これほど良質なストックを残している多摩ニュータウン開発の将来的なポテンシャルは高い」という評価が根底にあります。だからその真実を知るために統計分析を重んじるのです。


2017年6月29日 (木)

『東京都都市整備局 多摩ニュータウンの統計指標』多摩ニュータウンの人口はどこまで伸びるのか

「多摩ニュータウンの人口はいずれ急減するぞ」という期待が高まる中で、一時の急増は無いものの相変わらず人口は増加している現実を視て、衆目の心は多摩ニュータウンの斜陽を期待するのです。いやすでに「老朽化」と「高齢化」がセットで押し寄せている多摩ニュータウンという触れ込みが既成事実として伝わっていることから多摩ニュータウンの悲劇は浮世の風に乗ってあらぬ方向へ飛散しているのです。いつの間にか「風聞」が世間を席巻して事実をへし曲げていくという現実を目の前で展開されるとあたかも事実のように当事者も思ってしまい、終いには当該首長までが多摩ニュータウンは衰退するなんていい始めます。そうなると世も末です。

まずは事実を積み上げての話しに持っていきたいと思っていつもの私が積み上げた多摩ニュータウン人口推移ではなく「多摩ニュータウンの人口推移(昭和49年~平成28年)東京都都市整備局」のデータを掲げてみるのですが、これを視る人の目も猜疑心を重ねていて、「増えているように見えても若い世代の都心回帰で急減するに違いない」という疑いの目は消えないのです。おまけに団塊世代の高齢化が多摩ニュータウンを悲惨な社会を作り出し、腰の曲がったフガフガの高齢者の山、現代の姥捨て山を作り上げるという期待が根底にあるのです。

一旦、思い込んでしまうとそんじょそこらの説明では納得しないのが人間の性。あえて説明を繰り返すと「こいつは洗脳しに来た」と警戒して頑固になり余計に脳裏には真実が入っていかないというジレンマが生じるのです。刷り込まれた先入観を瓦解することはできないのが現実です。だから我々はあえて説得は止めます。「多摩ニュータウンはあなたの地域より余程住みやすいのです」という実感を懐きながらさらに住みよいまちへと改善する努力をするのです。そして競争社会に勝ち抜いていくのです。

「すでに説得することは辞めにしよう」と気付いた人を糾合して価値観を共にする市民が糾合して、自分たちだけでリアルな多摩ニュータウンを作り出し運営するのです。多摩ニュータウンは自立して経済循環が可能です。人口的にも安定させ少子高齢化への対応も独自の施策を展開して多摩ニュータウン市民が連担する社会を形成するのです。

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2017年6月28日 (水)

『東京都都市整備局 多摩ニュータウンの統計指標』多摩ニュータウンの公共賃貸住宅はどうすればいいのか

多摩ニュータウンの都営住宅の考え方については方針を示したのですが、今後の住宅余剰時代には公的賃貸住宅、特に公団賃貸、公社賃貸が余ってきますしすでに一部では2割近くが空き家として温存されています。こうした空き家についてセーフティネットの活用が採用され、社会住宅ストックとして活用することが基本になります。公営住宅については所得階層25%以下、公団公社については公営住宅水準以上をカバーするのではなく都営住宅も公団公社賃貸も公共賃貸住宅としてまとめて管理し、家賃については居住者の所得に合わせた応能応益家賃制度を実施して世帯の負担をアフォーダブルに改善することがまずは必要です。お金のある人もお金のない人もそれなりに支払うシステムで無理のない家賃制度を確立させるのです。これだけは民間賃貸よりもやりやすい仕組みだと思うのです。経営的には公営住宅制度で家賃補助をするのと同様な経済規模になるので無理のない制度になると思います。

建物の持ち主は都営住宅が東京都、公社住宅は東京都住宅供給公社ですし、公団住宅はUR都市再生機構になります。建物の維持管理は建物の持ち主がやりますが費用については建物や団地の状況によってかわりますが、基本的には同一の品質管理で維持することになります。都営住宅だからボロボロでいいのではありません。建物の維持管理は長期活用するためには基本です。投資した建物が永く活用できれば結果として投資効果は高まります。良い改善と管理によりニーズが高まれば市場家賃も上がります。人気の出る団地や建物は空き家もなく比較的高家賃を確保できるならは建物管理者側の改善もモチベーションが上がります。

現状では「都営住宅だから」とか「旧い公団住宅だから」というどこかに厭世感が無いでしょうか。それは「低所得者の公営住宅」「古い団地の低家賃住宅」という先入観から来ている差別だと思うのです。古い団地だって外観のリノベーションを加えるとコロッとイメージが変わりますし住戸内だって同じです。快適な設備とおしゃれな内装でリノベーションすれば居住性は極端に上がります。当然、家賃も確保できますし人気が出れば人は集まりますし空き家リスクは低くなります。

その為にも公共賃貸住宅を纏めることが必要です。そして入居者管理は地元の公共賃貸住宅管理者が一元的に担います。この場合は窓口がしっかりしているUR賃貸住宅の窓口サービスが行うのが良いかもしれません。基本的には公共賃貸住宅としての扱いですから、どこに入居してもいいのです。その場合には家賃補助は個々の世帯に補助されます。だから隣から「あなたの住宅は貧しい世帯」という視られ方はしません。まさにノーマライゼーションが経済的な面でも実現します。こうした仕組みを早く多摩ニュータウンで実現してもらいたいものです。東京都議会議員選挙でもこのあたりの議論をしてくれると良いのですが・・・気がまわらないでしょうね。

2017年6月27日 (火)

『東京都都市整備局 多摩ニュータウンの統計指標』多摩ニュータウンの都営住宅は再編すべき

昨日は多摩ニュータウン開発の犠牲者という表現で開発者側の開発初期の対応について公的組織と民間開発の違いを例に出して比較しましたが、民間開発は「居住者に喜んで資金を投入してもらえるまちづくりを目指す」のに対して公的開発は言い方が悪いですが「現状の問題を表面化しないように口封じのような対応を目指す」という全く方向の異なる開発手法を採ります。貧困世帯を口封じするために島流しにするような政策です。日本の場合は通勤に係る交通費は会社負担ですから通勤時間が多くなっても開発側としては責任を感じないのです。

貧困家庭の職場は大概、大都市の裏方です。夜まで営業している飲食店やサービス業の裏で皿洗いや清掃などの業務に就いています。夜間の道路工事では交通安全や労働者として働いています。夜間には公共交通は途絶えます。でも都心で働かざるを得ませんから通勤の便利な都心のあばら家で過ごすことになります。多摩ニュータウンに都営住宅をいくら建てても居住環境の改善は出来ません。日本の住宅政策は根本から間違っていたのです。郊外のニュータウンには経済的に豊かで時間のゆとりのある人を集めなければならなかったのです。

都市の再生では貧しい人が都心で住み続けられる施策が必要です。そのためには民間の空き家を活用しましょう。家賃が高くて住めない場合には「家賃補助」をすれば良いのです。都心に新規に都営住宅を建設せよとは言いません。むしろ民間アパートの空き家に住む貧困世帯を救済するのです。東京はまだましですが、すでに大阪圏や名古屋圏などは人口減少がやってきています。東京も間もなく場所によっては人口が減り世帯数も減っていきます。そうなると確実に空き家が発生します。市場家賃も落ち着いてくるはずです。そこに家賃補助を投入します。アメリカではすでに家賃補助をバウチャー方式として奨めています。

現在の多摩ニュータウンの都営住宅は働く貧困者のサポートにはなっていません。若い人は所得が増え始めると退去させられます。そこに高齢者が入居します。すなわち老人ホーム化しているのです。先に愛宕3丁目の高齢化について解説しましたが、都営住宅に高齢者が集中しているのです。その為にバリアフリーが問題になり、建替で集中する単身高齢者にも対応したエレベーター付きの建物を建設します。するとさらに高齢者が集中して本来の公営住宅の意味を履き違えた施設になります。実は「恥の上塗り」をやっているのです。そろそろ方向転換が必要なのですが、相変わらず気づかない為政者にがっかりです。

2017年6月26日 (月)

『東京都都市整備局 多摩ニュータウンの統計指標』多摩ニュータウン開発の犠牲者

東京都都市整備局のホームページに「多摩ニュータウンの統計指標」というコーナーがあります。

http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/tama/toukei.html

その中に「多摩ニュータウンの入居開始年次と高齢化率の関係」というグラフがあり、地区別の入居時期が示されています。まずは「諏訪、永山」です。そこには1971年に都営住宅1424戸公団賃貸3854戸公団分譲640戸が供給されました。翌年と翌々年には「和田、東寺方、愛宕」が供給されました。都営住宅1698戸、公社賃貸196戸、公社分譲470戸でした。都心への通勤は聖蹟桜ヶ丘までバスで出る通勤でした。合計すると8282戸という世帯数、当時の世帯人員が3.02人(1971年多摩市)とると、25000人という人口が一挙に押し寄せてきたことになります。

こうした人口移動は大規模開発の常套手段で、住宅困窮者とりわけ生活が貧しい人々が犠牲にされます。まずは都営住宅です。低所得層の住宅として供給されるものですが全体の38%を占めます。次には公団公社の賃貸は49%、分譲団地は13%です。そもそも都内の都営住宅を含む公営住宅については世帯数の5%にも満たない供給量ですから当時の多摩市の世帯数約20000世帯からしても15%を超える低所得世帯を受け止めるというのは大変なことだったろうと想定できます。どこの開発でも同様なのかもしれませんが、まずは貧困層を犠牲にしての開発には疑問を懐きます。戦後の住宅不足や都心部の公害対策などの状況などを勘案すると、より豊かな生活を求めてのニュータウン開発も出来たように思います。

日本のニュータウン開発が見習ったイギリスやアメリカのニュータウン開発と違うのは、イギリスロンドン郊外のレツチワースに見られるように良質な住宅と職場が一体となった開発が行われました。ロンドンの公害を逃れて工場も住宅も田園地区に移住するのです。最近のニュータウン、ミルトン・キーンズも同様で職場と良質な住宅の建設で、混沌としたロンドンと対峙する人口都市として生まれました。多摩ニュータウン開発で採用した歩車分離の基本概念があるニューヨーク郊外のラドバーンの住宅地にも行ってみましたが、駅前に数棟の賃貸住宅がありましたが、基本的にはセミデタッチドハウス(二戸一の住宅ですが日本の戸建てよりリッチ)が並んでいました。

日本の場合、海外の事例を参考にした公的郊外開発の常套手段はなぜだか貧しいのです。ところが田園調布の開発を思い出してください。最近では民間の不動産会社山万が開発しているユーカリが丘を観てください。そこには付加価値の高い住宅団地が展開しています。実は多摩ニュータウンのみなさんは知らされていないのです。相変わらず「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」の政策に蹂躙されていることを・・・クワバラクワバラ。

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2017年6月25日 (日)

旅日記 バンコック チャオプラヤ川に架かるRama III Bridge手前の高架道路を支える柱、地震のある国とない国の差は

13°41'52.4"N 100°29'45.6"E

地震がないのは恐ろしい。日本では耐震性能をもった高速道路でも神戸の震災では簡単に倒れていった。まるで手抜き工事があったのではないかと思わせるほどもろく倒れた。それ以降、耐震補強を高速道路などの柱脚部に各地で施していったが、バンコクでは相変わらずの風景である。「杜撰(ずさん)」という言葉があるが、宿近くで建設中の建物の足場を観ると自ずと心配せざるを得ない気持ちになる。

日本は地震の度に改善が重ねられてきて、今では地震国でありながらそれに耐えうる超高層などの多様な構造物を建設することができるようになった。建築技術が世界的にも認められるのは地震に対するハンディを背負っていたからに他ならない。それに社会経済の安定が大きく、内陸性地震の発生する中国社会とは雲泥の差が地震に対する建築技術だと言っても過言でない。地震による災害を人災として捉え、改善できるものは最大限に改善していくという考え方はようやく成就したようだ。

【ミャンマー、タイ】米地質調査所によると、2016年8月24日午後5時35分(タイ時間)ごろ、ミャンマー西部チャウクの西約25キロを震源とするマグニチュード(M)6・8の地震があった。震源の深さは84キロ。この地震によるとみられる揺れがバンコクのビルでも感じられ、一部のビルでは建物内にいた人を外に避難させた

(2007‎年‎10‎月‎20‎日)‎

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2017年6月24日 (土)

『国勢調査』多摩市の農業への就業状況から見えるもの

前回のブログでは多摩市の農業就業者の増加を定年退職後の就労者と断じてしまったのだが、年齢別の状況を観てみるとどうも内容が複雑であることが解ってきます。つまり、私の断定的な言い方はどうも間違いということになります。

 

年齢別の実態を解説しますと、男性の場合に定年退職後の年代にも増加がありますが、40歳代にも増加が観られます。平成22年から27年の5年差については世代的には5歳加齢した関係ですから、数は少ないですがコーホート法で移動を確認することもできます。それによると男性の60歳から69歳に顕著に増加が観られ、退職後の農業参入という仮設が証明されます。また、平成27年で50歳から54歳に到達した年齢に増加があります。いわばリーマンショックなどで早期退職組の動きだと考えてもいいのかもしれません。

 

コーホートではもう一つの特徴が観られます。20歳代の農業参加です。全国的に若い世代の就農が着目されていますが、多摩市でもそうした動きがあるのですね。特に男性が多いというのも特徴でしょう。先に説明したように農業には土地が必要で、多摩市のような都市では新規参入は難しいのです。多摩市の農地はすべてが生産緑地として宅地並み課税を回避した土地です。ですからいわゆる農用地としての農地ではないので、農地としての存続ができない場合には直ちに宅地並み課税が架せられてしまいます。そこで、高齢者となる若い世代が農業を継承するということなのかもしれません。

 

一つ、農業だけを捉えても幾つかの変化があります。バブル経済の崩壊以降、長期デフレを経験して大規模津波を含む震災を蒙り、さらに原発事故という人災を体験して人々の心は大きく揺れてきました。「目標にしていた大企業での顛末は如何に」と方向性を失った若者も多く、地方移住などの動きも顕著です。リーマンショック以降の両親の経済力の衰えで在宅での就学が増えたり、人口減少で余剰ストックが生まれ始めた地方の資産に新たな可能性を求める若者。そして大都市中心の経済ではなく地方の中でも潤沢に豊かな生活が得られることの実感が次第に浸透している昨今の就労環境も次第に変わっているのだという実態が見えてきます。

 

私たちは人口減少社会という豊かな資産を有効に活用できる時代に入りました。そこでは、みんなが平等という意識の中で平和に暮らすことが出来るはずです。競争社会ではなく調和を求める社会なのです。そんな多摩ニュータウンに私はしたいと思っています。

 

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2017年6月23日 (金)

『国勢調査』多摩市の就業状況

都心部とは違って多摩市の就業状況を、平成22年から平成27年の推移について改めて比較して見ようと思います。その間に就業者が増えた産業は何か、減った就業先は何かが気になります。

まずは数は少ないですが農業従事者が増えたのはびっくりです。特に男性が増えました。原因は何でしょう。もうブログを読んでいる人はおわかりだと思いますが、そうです、役所などに勤めていた世帯主が定年退職後に農業従事者として登録したので増えたのです。それも想定ですが多摩市での新規農業従事者は現実的には現れません。新規営農では経済的に成り立たないので、畑を持っている地元の農家が年金受給とともに農業従事者が戻ってきたということになります。従って家族従業者が増えたことになります。

次に気になるところは「医療、福祉」です。男女とも1割近くの増加です。高齢者施設の増加が直接的に就業機会を生み出しています。高齢化イコール医療福祉産業の活性化という言い方も出来ます。同様な傾向だと思えるのに「複合サービス事業」があります。高齢者介護施設と食堂などを併用したり、家事サポートと物販業を兼ねていたりなど、サービス提供も多様なニーズに対応して復号化しているのです。

次には「不動産業,物品賃貸業」があります。住宅ストックが飽和状態を迎えていて、個人でも不動産賃貸業を行っている人も増えています。また、こうした不動産などの流通についての仲介などの事業も増えればその雇用環境も改善するでしょう。

多摩市にして漸く顕在化してきたのが「電気・ガス・熱供給・水道業」です。私も発電事業に関わっていますが収入は別にして事業に関わっていることは確かです。私の関係会社でも少なくとも10人位は新規事業に参加していると言えるでしょう。となると多摩市で43人の男性が増えたというのも納得いきます。

公務員のリストラを進めて小さな政府、小さな自治体を目指すはずの「公務」が増えています。団塊世代が退職したからと行って、給与が低い若い世代を多く雇用しているというのでは意味がありません。もっと合理的に業務を整理するという意識が必要です。統計は正直です。為政者は襟を正して公務員の整理をすることが必要です。

統計から何を導き出すかは統計を扱う人のセンスです。現実の問題や課題、将来の予測や仮説に対して具体的な統計データを持って説明します。もちろん統計でも勘違いや間違っていることもありますが、それも統計データで証明されます。従ってデータ整理には慎重さが必要です。その上で疑問を投げかけたいと思います。

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2017年6月22日 (木)

『国勢調査』山梨県北杜市白州地区の就業状況

日曜日に白州谷ケ原で出会ったコーヒー店のオーナーは首都圏からの転入者だと思うのですが「宿泊業,飲食サービス業」の男性増加分6人の一人かも知れません。統計結果そのものは平成22年と27年の10月1日時点の就業状況ですから、その増減は実態としての様々な動きの結果の数字なので単純ではありませんから、其の差に「当該珈琲店オーナーが」という表現は正しくはないのですが、気持ちの上での説明は出来るでしょう。基本はその間の職業替えもあるでしょうし人事異動で職能が変わったという場合もあるでしょう。その結果としての断面的な就業状況を示しています。

さて、平成27年までの5年間で旧白州町だけを取り出して男女別就業状況の一覧表を作成しました。職業分類は国勢調査に習っていますが、思いがけず農業人口が増えているのに気付きます。それも女性です。全体に15歳から65歳の生産年齢人口が減っているのですから総じて減るはずですが、女性に限っては増加しています。女性の社会進出が進んでいるのでしょう。ただし、詳細を見ますとパートやアルバイトと言った臨時職員の増加で正規雇用は殆どありません。あとは家族従業者の増加が目立ちます。農業をしつつ販売を手伝うなど、農業人口の仲間入りをしているということになります。農業に拘って男性の事情を確認しますと、自作農家の内「雇い人のない業主」が農業を引退しているようです。農業従事者の高齢化の結果だと思います。

前回のブログでも紹介した太陽光発電事業者は「電気・ガス・熱供給・水道業」に区分されますが就業者そのものが男性では8人、女性が3人という全体の事業規模ですから太陽光発電パネルの設置が目立ったとしても雇用の改善にはつながらないようです。その他に気になる職種は「医療,福祉」と「運輸業,郵便業」については男性が減り女性が増えています。高齢化や宅配便の増加など時代が求めている職業に動きが見えます。反対に「製造業」は男女ともに減少傾向が出ています。工場の海外への移転もあるでしょうが、ロボット化などの合理化が進むことで製造業の就業環境は大きく変わっていくように思います。

都市部においても時代に合わせた職能が拡大していて、地方部でも地方独特の動きが見られるのですが、実態として都市部は高齢者が働くケースが増えていて、地方部では女性が働くという傾向が見えるようです。詳しくはさらに探求が必要なのですが、今少し北杜市と都市部での違いに眼を凝らしてみることが必要なのかなと思います。

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2017年6月21日 (水)

『国勢調査+』山梨県北杜市にリタイア高齢者が増えると、その高年金により個人所得の平均がアップしたって本当???

「高齢者が転入するのは問題」とする自治体の反応はすでに古臭くなったと思うのですが、本当でしょうか。「リタイア高齢者の転入で高年金取得者の個人所得は北杜市の低い個人所得レベルを押し上げる効果がある」というのは真実でしょうか。事実として北杜市へは首都圏からの高齢者の転入が著しいのですが、その殆どが高収入世帯であることは容易に想像できます。高齢者の場合、貧困者は地方ではなく都会の中で清掃婦や交通安全員などという就労に付きやすい職を得て年金の不足を補って生活します。だから北杜市へは貧困世帯は移れないのです。

北杜市には団塊世代を中心にリタイア組の転入者が首都圏から押し寄せていることが明らかになった中で、住民一人あたりの所得の伸びが上昇しているというのはやはり繋がった現象なんだろうと思うのです。経済的に豊かだからこそリタイア移住が出来るのです。私の小屋に沿って60センチ幅ばかりの農業用水が流れていて、両脇に管理用の小道があります。今は田植えの時期ですから大量の河川水が取水堰から引かれていますが、その小道を大型犬を何頭も連れた熟年層の男女が通ります。大都市のマンション住まいでは飼えない大型犬を散歩させているのです。暮らしを都会から北杜市に移した高齢者の姿です。高齢者と言っても60代はまだまだ若い。飼い犬の散歩は健康増進の日課です。

それとは別に至る所で太陽光発電設備が並び始めた農地での売電収入の増加が個人所得を押し上げているのかもとも思いました。2012年7月から始まった固定価格買い取り制度は北杜市の空き地を次第に埋めていきました。農家の副業としても、現実的な現金収入として普及していき、至る所に太陽光発電設備が観られるようになりました。これらの収入が個人所得を押し上げているのだろうとも思いましたが、これについては投資額と減価償却の中ではまだまだ個人所得を上げるほどの収入は無いはずで、実際には設備は大都市からの資金だと思われるし、いずれにしても2015年の個人所得が急増するまでには行かないと考えています。

こうして整理するとやはり、首都圏からのリッチな高齢者世帯の流入が北杜市民の平均収入を押し上げたという他はなく、今後も流入する高齢者によって豊かな北杜市が育成されることになるのです。これ、本当です。

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2017年6月20日 (火)

『国勢調査の小地域集計』山梨県北杜市に転入する年代は如何に

私にとって北杜市はリゾートと言うか、八ヶ岳を頂点にした高原に広がる遊び場として様々な要素を持つ地域で、時々遊びに行く地域でした。その一画にバブル後に暇になったのでDIYで小屋作りをしたいなと思って入手した土地に6畳一間の小屋を完成させたのを機会に、友人などを誘いながら通うことになったのです。そもそも始まりは土地探しで、建築設計業の悶々とした具体性のない暗い想像の繰り返し作業の中ではストレスが溜まり、創るという行為を具体化させたいとの思いが高まっての土地探しでした。

当時の北杜市は明野村、須玉町、高根町、長坂町、大泉村、白州町、武川町、それに小淵沢町に分かれていて、各々が特徴的なリゾート政策を行っていていました。八ヶ岳の高原に遊ぶ中で、大泉村の別荘地見学や高根町の農業体験型リゾート施設などを体験していました。隣接する清里などは都会からの若者が集中する観光メッカとなったのですが、バブル経済の崩壊で東京からのリゾートビジネスが終焉を迎えて斜陽産業に移り架ける頃で、急速に拡大したバブル観光も崩壊しつつありました。その後の北杜市域を巡る様々な課題は、平成16年11月1日、北巨摩郡7町村(明野村、須玉町、高根町、長坂町、大泉村、白州町、武川町)が合併し、北杜市が誕生することで一つの終焉を迎え、さらに平成18年3月15日に単独で頑張っていた小淵沢町が加わり、新たに北杜市となりました。

今回の国勢調査データは平成22年から平成27年の5年間の変化です。丁度、団塊世代が高齢者の仲間入りをした時ですから八ヶ岳地域に転入する人が急速に増えたという捉え方もできそうです。でもそれだけではありません。30代から40代の働き盛りの人々が流入しています。その世代に引っ張られてか15歳から19歳、5歳から9歳の転入、さらには0から4歳の幼児を連れての転入は思いがけない人口移動の波を感じます。

さらに5年前の平成22年調査では、定年退職後の団塊世代の転入が目立っていますが、20代後半から40代前半の転入も目につきます。平成27年ではその世代が成長しても移住の勢いを保っているという読みかたも出来ます。従って今後の動きとしては高齢者の転入は相変わらず続くとしても、八ヶ岳周辺に魅力を感じる人々の持つ多様な地域ニーズに北杜市が受け入れられる限りの転入が引き続き続くものと思われます。現状では観光のみならずリタイアメントの永住地としての選択などで、新たなサービス産業や高齢者の転入に伴う医療介護の業務が事業拡大を推進するとも思われるので、北杜市の産業構造と転入人口に今後も着目していきたいと思います。

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2017年6月19日 (月)

『国勢調査の小地域集計』昨日、山梨県北杜市白州を訪ねたら旧街道に大勢の人と新たな店が出現していた

山梨県は北杜市白州(旧白州町横手)に小さな小屋があるので機会を見ては訪れていたのですが、とんとご無沙汰気味の小屋の修復にこの土日に久しぶりに出かけました。その帰りの日曜日に数年ぶりに白州台ケ原の宿場に寄ってみたのです。小屋のある横手から白州の道の駅を左に見て右折し甲州街道に入り、すぐに左斜めに旧道である白州の旧市街谷ケ原の街並みに入ります。あたりは旧甲州街道の宿場町ですから、古くからの旅籠も街道沿いの水飲み場の旧井戸、店構えのしもた屋や陣屋風の建物ありで古き時代を醸し出しています。ふと車窓をポップなスタイルで装った若い二人の女性が小さめの旅行かばんを引いて歩いています。こんなところを見かけない風景でどこへ行くのかと思いつつ、車を進めますとそこには台ケ原の名所というか、いつもの酒蔵七賢と流水饅頭の金精軒があります。

いつもは閑散とした街並みなのですが、昨日は金精軒には店の外にも人が溢れ、七賢の試飲コーナーは赤ら顔のおじさんがたむろしていて、観光バスでもついたのかと思ったのですが、七賢の駐車場もいっぱいだし、嘗てはなかった金精軒の駐車場も車の列、人の出に驚くばかりでした。それにも増して近所に骨董品店やカフェまで登場していて、嘗ての街ではないような賑わいでした。古い店構えに簡易な布テントを出してコーヒーを淹れている60歳位の男性がいて、店のオーナーらしいのですが、痩せ型の独特な風貌で、その人がどこから来たのか気になっていました。300円のホットコーヒーをその場で注文したのですが、丁寧に淹れる姿に彼の前職をなんとなく想像してしまいました。

そこで思うのは北杜市の人口転入のこと。観光客ではなくてそこで店を出した人や働いているがどこから来たのかという関心が湧きました。そして今日は以下のグラフです。北杜市の人口移動を転入と転出に分けて比較してみました。すると平成27年までの5年間に市外から転入している人が4,695人、その内東京都が1,234人、神奈川県と千葉県、埼玉県を加えると2,225人になります。約半分が首都圏からの転入になっています。反対に転出状況は3,933人で人口が増加していることがわかります。首都圏への転出は1,107人ですから首都圏とは1,118の純増となっています。平成27年の常住者が45,111人ですから、5年間で5%近くの人が転入してきたという計算になります。

白州の旧甲州街道にすべてが集まっているのではないですが、平成の大合併で広がった北杜市に急速に人が集まりつつあることを実感した一日でした。なにか以前の流れとは違った人の動きが始まったように思います。それが新しい日本の姿を形作る息吹のようにも感じました。

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2017年6月18日 (日)

旅日記 タイ バンコク ラチャウィティ通りがチャオプラヤ川にかかるあたりの水上生活者

13°46'48.9"N 100°30'12.9"E

タイ・バンコクの旅行の目的は水上生活者の見学にありました。常々耳にしていた水上生活者のすまいとはどのようなものかが気がかりでしたので、3泊4日の夜間到着と早朝帰国の弾丸ツアーで訪問しました。中2日をツアーの定番の観光地巡りとお土産屋や免税店訪問を終えて、最後の日に免税店から駐車場に停まっていたトゥクトゥクに地図見せながら値段交渉して飛び乗った。さすが小さい三輪車だから住宅地の中を走り抜けて指定の場所に到着。チャオプラヤ川に架かる橋から水上生活者を眺めてみると、建物は木杭の上に建っている。いや乗っている感じだ。その日は水位が高くようで、隣接の寺院も水浸しでポンプアップをして排水している状況だった。住宅の中に入るのも簡易な木製下駄の通路を通って住宅に行くが、住宅も溺れかけている。

行ったのが2007年だったので、その後の2011年のチャオプラヤ川における大きな洪水で日本から進出した工場も水浸しになったのだが、日本でそれを聴き、さもありなんの感想。タイの人たちは低湿地の居住を全身に受け止めて生活している様子が見えたので、洪水に対する対応も柔軟だったと思えるのだ。ただ、外国から進出した工場はタイ流の柔軟さはなかったということだと理解している。

(2007‎年‎10‎月‎20‎日)‎

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2017年6月16日 (金)

『国勢調査の小地域集計』でさらに高齢化率を考える

「愛宕3丁目」が平均年齢で最高だったのですが、男女別で診ると男子では「和田」が最高年齢になっています。また、女子の75歳以上人口では連光寺5丁目が軍を抜いており、最高地も分散を始めます。こうした変化の原因にあるのがその地にある高齢者施設の存在です。老人ホームがあればそこが高齢者の集中になりますし、町丁目の総人口が少ない場合施設の「率」への影響は大きくなります。だから「率」だけでは実態が見えないのです。

ここで「連光寺5丁目」に着目すると、男子の場合には15~64歳の生産年齢人口率が71%と高位を示しており、比較的若い世代が多いことが見えてきます。一方で前述のように女子の後期高齢者率も高いのです。これについては地区の土地利用の特性があります。数字だけでは解らない事情があるのです。「連光寺5丁目」はもともとの地主が市街化に伴いアパートや施設を誘致しました。具体的には老人施設があり、若い世代向けの民間の大規模アパートがあります。女子の15歳未満率も高いので子育て世帯もいるという具合です。たとえ実数が判ったとしても土地利用も明確にならないと実際上は「ひと」の状況を理解し得ないのだということが理解ります。

私達の目線は最大公約数的な視野に立って物事を診ます。だからどうしても「多い」とか「少ない」とか比較することで「評価」を加えて物事を認識していきます。その時には実態までは掌握しないで判断をします。私がよく使う数字認識の誤解は「多摩ニュータウンの人口は減っている」という誤解です。実態は稲城市域や八王子市域、さらには町田市域で継続して増えていて、多摩市域の一時期に人口減少傾向が見られたことで、その傾向が全体だという誤解から生まれた「世間の常識」になってしまった感があります。

数字は誤解を生みます。全体を捉えるのに一部の情報から拡大解釈したり、「率」のみで全体を評価しようとしたりと誤解を生む統計データは世の中にたくさんあります。「統計でウソをつく」なんて本も出ているような状況ですから、数字のマジックにだまされないように注意深く物事を認識しなければならないのです。特に報道のウソには要注意です。多摩ニュータウン人口の話は殆ど報道機関のプロパガンダが起こした誤解です。最近はそれを鵜呑みにした評論家もいて火に油を注いでいます。「嘘つきは泥棒の始まり」という諺があります。クワバラクワバラ・・・

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2017年6月15日 (木)

『国勢調査の小地域集計』さらに多摩市の高齢化を探る、平均年齢50以上の町丁目

国勢調査には小地域集計という分類があって、多摩市ならば町丁目までの情報が分かる仕組みです。情報開示の最小区分で、さらに細かくは調査区ごとの区分に分けたデータ整理が行われるのですが、個人情報保護の観点から現在は町丁目が開示情報の最低単位となっています。そこで町丁目の分類軸をベースに多摩市で最も高齢化している地区を探してみました。まずは「平均年齢」です。高齢化という分類を何に診るのかによって選び方が異なるのですが、まずは平均年齢で見てみようという趣旨です。はたして最も平均年齢の高いのは「愛宕3丁目」でした。

そこは多摩ニュータウン開発初期の都営住宅団地で、高齢者に対応したシルバーピアを含む1048戸の都営住宅があります。比較的新しい都営住宅もあるのですが、ほとんどが旧い都営住宅で、35㎡から64㎡という住戸規模で、特に初期の住宅はエレベーターの無い40.12㎡の住戸、それを3DKと称して供給しています。5階建ての建物は耐震補強も終えて高齢者の安住の地として多摩ニュータウンの北陵の風景を構成しています。その数378戸です。

都営住宅は公営住宅法により所得階層の低位25%以内の世帯が入居できる住まいで、特に60歳以上の単身者には入居の門戸が開かれていて、単身高齢者にとっては最後の安住の地ともなっている地区です。従って高齢化は必然で、平均年齢は58.4歳、65歳以上が53.9%と半数以上を占めているので、ある意味では政策的に貧困高齢者を集めてしまっているという状況になっています。居住している立場としてはやむを得ずの選択でもあり、良好なコミュニティを形成するにも貧しい高齢者を集める施策が取られている現状を問題視する必要があります。

日本の住宅政策は戦後の住宅施策が相変わらず行われており、人の生活を支えるよりは公営住宅という公的な住宅資産を確保することに注力が注がれてきました。しかし、実態は住宅余剰時代に入っています。既存のストックを如何に快適な居住環境にすべきか、公営住宅についても問われている時代になっています。むしろ人への施策が必要な時代になっているのだと確信しています。

今求められているのは、こうして集まった都営住宅を市営住宅として管理して、地域に根ざした市が主体になって入居者を選定して見守ることができれば、若い世代が入居できる環境を作り出すことも可能でないかと思うのです。地域のコミュニティが偏らず多様な所得の世帯が同居し、世代交流を推進することを望みたいのです。

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2017年6月14日 (水)

『国勢調査の就業状態等基本集計』表とグラフ、多摩市民の職業を通して

職業が多様性を持つ時代になっていて、その区分がよくわからないこともあって、国勢調査の分類をそのまま踏襲して区分してみると必ずしも生活感とは一致しない印象を受けてしまいます。たとえば第二次産業という区分では「D建設業」「E製造業」という二つの仕分けだけで表わすので、その事業所の規模もわからないし業務内容もはっきりしないのです。さらに分割して言うと、同じ建設業でも「水道工事業」なのか「電気工事業」なのか「リフォーム専門」なのか「大手の下請け建築業」なのか「建売専門」なのかという個別的な情報がなければ一括して「建設業」ではわからないのです。同様に「製造業」も同じで、製造する分野や規模など区分すべきものはあると思われます。し部品製造なのか組立製品づくりなのかなど多様になります。

第三次産業としてはかなり分割して調査しているようですが、実態としては複層した業務を事業所が扱っている場合には就労している分野も別れてきます。たとえば「K不動産業」がありますが、新規開発なのか仲介なのか、あるいはリフォーム工事を含む業務なのかによって第二次産業にも区分される業務となります。また、高齢者の居住確保を目的とした高齢者施設の案内や斡旋などを行っているとすれば、福祉的な相談業務というジャンルにもなるでしょう。それに企業内での複合的なポジションならば分類も難しくなります。

このように多様であればあるほど分類が難しくなり不明瞭になっていきます。それほどに現在の職能は多様化しているという言い方もできますので、そろそろ区分そのものの方法も変わっていいのではないかと思います。たとえば第一次産業、第二次産業・・・という区分ではなく、「農業、林業、漁業、建設業、製造業、流通運輸業、通信業、販売業、金融業、不動産業、教育業、飲食業(宿泊含む)、生活支援業、公務業、その他」などの分け方で個別に整理する方法もあります。農業だってインターネットで個人売買をやっている農家だってあります。其の場合は一人の人が農家であり小売であり卸であり、さらに広告宣伝や流通も担い通信業にも分類できるかもしれません。今はもうひとりの人が複数の職能を持つ時代です。こうした時代になっているのですから統計についてもそれなりの区分にしなければ正確な統計は録れないし、統計結果を説明するのに苦慮してしまいます。

基本的には統計はわかりやすくしたいものです。

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2017年6月13日 (火)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市民の就職難を探る

日本全体の産業が第三次産業にシフトしている中で、多摩市の場合はさらに生活支援サービス産業が主流の地域になっています。基本的にベッドタウンということは個人や家庭に対するビジネスで、小売や医療サービスなど生活に関するサービス業が台頭することになります。だからというわけでもないのですが、必然的に女性の雇用環境は豊富になります。失業率の少ないのもそのせいかもしれません。

一方男子の場合には多少の製造業と建設業が多摩市の第二次産業となります。其の大部分は製造業と建設業が占めていますが、製造業も限られた軽工業で、既存地区に古くから続いている町工場や都市計画的に工場が集約され新たに誘致されものもありますが其の規模は小さいのです。まあ、一口で多摩市の産業を言うと、基本的には第3次産業で日常的な生活に関わる小売業や医療、福祉、教育など生活関連ビジネスが台頭する就業構造になっています。多摩市の市民にとっては実際には多摩市内の就労ではなく周辺地域や都心部への通勤で収入を得ている世帯が殆どですが、市内での産業そのものを観るとこうした傾向があります。

今後、居住者の高齢化とともに医療福祉関係のニーズは高まってくるとは思いますが、すでに地場産業として生活ベースの産業が台頭しているので、極端に方向を変えることはないと思いますが、地場産業としてはあくまでも市民サービス主導で新規事業が生まれるとしても第三次産業であることは確かでしょう。

産業そのもののボリュームについてですが、就業者の数は平成22年度と27年度の推移を観る限り微妙に減少しています。高齢化という背景もあり需要が伸びていない状況も勘案できますが、生産年齢人口そのものが減少している社会なので働く人も少なくなっているという判断もあります。また最近の日本全体の動きですが、消費そのものが減退している可能性もあり、其の関係で従業員も必要なくなっているという状況も想定できます。このあたりは違った統計を並べて考えていく必要がありそうです。

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2017年6月12日 (月)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市に診る完全失業率の変化と私個人のポジション

その時々の社会経済情勢で世代ごとの就業状況に影響し、個人の人生が左右されます。日本では新卒が優先される就職環境社会ですので、高校や大学の卒業時に就職出来なければ、将来的にも雇用環境が改善されないまま生涯を送ることになります。具体的には新卒で就業できない者は臨時職員というか派遣社員を繰り返して正規雇用がされないまま生涯を送る可能性が高いということです。

ここに就職氷河期という言葉があります。最近の就職氷河期は2010年から2013年卒がそれにあたり、平成22年(2010年)国勢調査では丁度氷河期が反映されたデータになります。さもありなん、調査結果でもそれが出ています。高卒時、大卒時の就職困難が失業率に反映していることがわかります。男性の場合はその後の5年後も失業率を引っ張っているようにも見えます。就労できないまま5年間を過ごしたとは思えませんが、希望の会社に就職できない時には転職という選択も有るので、同一職場に定着できない「就職流浪の民」が10%程停留すること言う現象もあるのかもしれません。

私の場合は大学卒業そのものが遅れたのでまともな就職は出来ないと当初から諦めていました。幸い大学の恩師の先輩が経営する小さなアトリエ事務所に斡旋してもらえて、就活の心配なく就職してしまいました。でも2年間の修行の後に友人と事務所を開き、さらに1年後には自分の事務所を開設してしまったので雇われた経験が薄いようにも思います。父親は国鉄病院の万年薬剤長で戦後の人材不足でのんびりと過ごしてきていたので、子供にも社会での競争心は育っていません。日がな大国鉄の庇護のもとで飲んで帰る毎日は就職の危機感も感じない環境でした。そんな環境で育った私ですから就職の危機感もないままに独立していったのです。

幸いというか独立しても先輩からの紹介などで順調に仕事が入り、68歳の今まで何とか会社を存続させていたのですが、建築設計事務所ですから個人の才能が全てなので、あえて会社を大きくすることもせず、一代で終わればいいというスタンスでここまで来たのです。実際、事業と言うほどのキャパもなく人材を育てていくという高邁な思いもなく、クリエィティブで大規模な設計などを目指すという才能もないので、来るもの拒まずの精神でやってきたという感があります。だから失業体験はないのですが、仕事がなくなれば失業という位置づけであり、今のところほそぼそとでも建築とかまちづくりとかの役割においてお役に立つことも有るように思うので続けている次第です。こんな生き方であれば完全失業という立場にはならないのだなと思いつつ、雇用に拘る人生観のないことを改めて認識するのです。

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2017年6月11日 (日)

旅日記 ベトナム ホーチミン「統一会堂」

座標: 北緯10度46分37秒 東経106度41分43秒

『政情が不安定だった時代に建物の呼び名もたびたび変遷し、1873年から1955年の呼称は「ノロドン宮殿」(ベトナム語: Dinh Norodom)、1955年から1975年の間は「独立宮殿」(ベトナム語: Dinh Độc Lập / 營獨立)、そして現在に至る。』建築的にどうのこうのという感想はない。ただ、ベトナムという国が統一された象徴的な建物として残っている。『「フランス領インドシナ」という植民地時代に建設され、1955年にベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後には「独立宮殿」と改名、1962年2月8日にゴ・ディン・ジエム政権に対して起こされたクーデターの際に、大破し取り壊された。1966年に、南ベトナムの建築家のゴ・ベト・チューによる現代建築として再建され、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸とされ使用された。』という大まかな歴史の中で「統一会堂」はある。ベトナムの歴史である。

実は私の興味はそこにはなく、ベトナム戦争という物量投入のアメリカ軍とアリの巣のように張り巡らす地下壕を掘り続けたベトコンとのと戦いにアメリカ軍が負けたという事実であり、その痕跡を知ることにあった。ベトナム戦争の悲惨さは今も路上の物乞いに現れていた。四肢のない肉体や顔面焼けただれた物乞いが街に転々とある中で、尋常な心では保てない現実があった。貧しさの裏側で暗躍している組織がいそうな気配でもあり、恐ろしいものを感じるホーチミンでもある。だから統一会堂より戦争証跡博物館の展示に心を奪われた。 (2008.12)

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2017年6月10日 (土)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市に診る男と女の完全失業率の変化

60歳で定年すると、急に「サンデー毎日」には成りたくないので何とか職にありつきたいなとハローワークに出向くのですが、リストラ真っ盛りの2000年には再就職はとても難しい事だったのです。退職して暇を持て余す御仁は「わしも族」なんて言われ方をしました。奥さんの後を追いかけるように活動する亭主像です。退職したあとどこ行くこともなく元いた会社近くの公園で日がな一日を過ごして帰宅する働き蜂だった男の姿がテレビ放映されました。「亭主元気で留守がいい」と嘯いていた主婦も毎日家にいる亭主に閉口してカルチャースクールに通うのが日課になった。そんな人間模様が浮かんできます。

思えば急速に定年後の就業環境が改善されています。60歳から64歳男性が特に顕著で2000年時完全失業率12.5%が2015年には5.8%に急減します。15年間で人材不足になっているという環境の変化もありますが、65歳定年制の導入で2013年4月から12年間かけて段階的に定年延長義務化を達成するという方向が定まったので高齢者の就活もやりやすくなったと思えるのですが、確かにご近所でも定年後に通勤している男性の姿を見受けます。そういう私も近所からはそのように見られているのかもしれませんが、似たようなものです。

現在、私は68歳ですが、恐らく70歳までは今のままで過ごすのだろうと思っています。あと2年間は多少責任を負わない立場で社会貢献できるのかなと思っていますし、その後はあまり考えていませんが何らかの社会との関わりを持ちながら過ごすのだろうと考えています。急に山にこもるとかリゾートマンションに移るとか、まさか「犬の散歩」を日課にはしないつもりです。あれだけは性に合わないのです。

幸い70歳に至るまでの男性の完全失業率も低くなり雇用に心配が少なくなったので、世の中に捨てられないようにとは思っているのですが、なんと女性の失業率の少なさに愕然とします。「融通の効かない男より柔軟に対応する女性」が尊ばれているのです。雇用者にとって男より女は扱いやすいのでしょう。協調性のない男より賑やかな女という選択は、性格上の男女格差なので致し方ないとは思いますが、高齢男性に見合う仕事が少ないということもあるのかもしれません。力仕事は無理だから、交通安全員や団地やマンションの清掃員などには似合うのかもしれません。

70歳からは私も清掃員かも、、、身体が動けばですが。

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2017年6月 9日 (金)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市民の就職難を探る

4月の有効求人倍率が1.48倍で43年ぶりの水準になったというニュースが飛び込んでくるのと同時に。4月の完全失業率も2.8%と3ヶ月連続で低くなったとの情報は日本人にはホッとするニュースです。

働きたくとも働く場が与えられない状況は、その人の暮らしを支えることすら出来ないのですから困った状況ですが、今は仕事の内容さえ選べない状況から、多少は自分にあった仕事がみつかり易くなったという状況だと理解しています。先日も近所の20代女性がやりたかった家具工房の仕事に群馬県の職場ですが、就けるようになったと引っ越していきましたが、ある程度の特殊なニーズにも応えられる社会になりつつ有ることを感じました。

国勢調査データの平成27年(2015年)の新卒時の完全失業率の状況も急速に改善していることが観られます。特に男性についてはほっと息をついている状態だと思われます。失業者が10%を超えていた状況から一転して6%になり、世代に圧し掛かる運命に翻弄される宿命を一身に受ける新卒者の命運に同情を超えて社会悪という判断もしてしまいたい気持ちに駆られるのです。何も新卒ではなくて、就職浪人でも良いので、新卒と同一条件で雇用するなどの方法はないのかと思わず腹立たしく思ってしまいます。

一部の企業ではこうした幅のある雇用システムを持っている社もあるのですが、今はまだ新卒主義で、だからあえて卒業しないで再チャレンジするという学生も登場して、社会矛盾に対して雇われる側が歪な対応をしなくてはならないという状況があります。日本の雇用システムとしての終身雇用制がすでに崩壊しているのですから、新卒オンリーではない柔軟な雇用システムが望まれるのです。

20歳から24歳男性の平成27年(2015年)の完全失業率が6.1%ですが、同年の25歳から29歳までの完全失業率は9.3%と上がったままなんです。5年前の平成22年(2010年)調査の20歳から24歳の9.4%から0.1%しか改善してないなんて異常です。有効求人倍率が1.48倍という状況が続いたとしても新卒時にそもそも就職ができなかった若者に正規社員への門戸が開かれていないことに疑問を覚えます。明らかに「職業選択の自由」を奪っていることになるのではないかと思います。

日本国憲法第22条

1 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

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2017年6月 8日 (木)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市に診る就職氷河期

多摩市の若い世代がどのような職にありついているのか、時代にどのように翻弄されたのか気になる所です。

日本の就職氷河期にはバブル経済崩壊後の1993年から2005年にかけて企業がリストラを繰り返して正規雇用から非正規雇用にシフトを始めていった時代があります。2001年からは小泉内閣の新自由主義の台頭で非正規雇用が増え、就業環境が厳しくなった時代でもありました。多くの非正規雇用がアルバイト店長や過重労働問題を今も引きずっています。日本の雇用環境は新卒で就職できない場合には生涯就職が難しくなるという弊害を生んでいます。そしてリーマン・ショック後の2010-2013年卒の若者にも影響を及ぼしています。

末尾のグラフは多摩市の25歳から29歳の完全失業率の推移ですが、平成17年(2005年)段階ではバブル崩壊後の就職難で非正規雇用に甘んじなければならなかった若者の就業機会が失われつつあることを表しています。特に男性の就業機会が奪われ始めています。女性の場合には短期雇用が多いこともあり、特に完全失業者が増えていないように見えます。

さらに平成22年(2010年)を見ますと、リーマンショックの影響が出てきているように見えます。世代全体の雇用環境も悪化していますが、特に男性の雇用環境が悪化しています。女性については引き続き安定した動きです。ところが平成27年(2015年)になりますと全体の完全失業率は下がります。これには2011年の東北震災や2013年のオリンピック誘致の影響もありますが、団塊世代の現役からの離脱による人材不足が顕在化して、2014年卒からの新規雇用は売り手市場になったことが影響しています。ただ、2013年卒までの若者は新規雇用の外に置かれ、相変わらず就職困難世代として温存されていきます。全体としては完全失業率が改善しているのにその世代は高い失業率を保っているのはその影響です。

面白いことに女性の場合は25歳から29歳の失業者は減っていきました。男性が働けないならば女性が働くという傾向が見えてきます。次第に女性上位の社会になっていく兆しが見えているのでしょうか。最近では夫婦間でも女性の収入が多いカップルも見られるようです。女性が正規雇用で男性が非正規雇用なんてケースは私の周りにも多く見られます。「髪結いの亭主」とは言いませんが、怠け者の私としては羨ましい限りです。

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2017年6月 7日 (水)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市の職業別就労状況

生データを並べて比較すると様々な機微の情報が浮かび出るのですが、人間の能力には詳細な数字を記憶して比較分析する力はないので、たちまちコンピューターを活用して分析してみることになります。そのためには諸処のデータを比較して並び替えたり、仮設を立てて立証を試みたりで、必ずしも数字を眺めただけでは捉えきれないのが統計データです。だから何とか理解するために調査年度を複数並べ、経緯を分析したり、地域差や国際間の差異などを見える化して特性を把握する作業を繰り返します。

国勢調査のデータは中でも重要で、5年毎の国民の生活実態を全員に対して実施した結果を集計するという意味で唯一無二な実態調査として日本人のポジションを位置づけるには絶対的な情報源です。調査内容は個人情報として(1) 氏名(2) 男女の別(3) 出生の年月(4) 世帯主との続き柄(5) 配偶の関係(6) 国籍(7) 現住居での居住期間(8) 5年前の住居の所在地(9) 就業状態(10) 所属の事業所の名称及び事業の種類(11) 仕事の種類(12) 従業上の地位(13) 従業地又は通学地について確認します。そして世帯に関する事項として(1) 世帯の種類(2) 世帯員の数(3) 住居の種類(4) 住宅の建て方を確認しますが、この調査項目をクロスして抽出していく過程が重要になります。

文末の表は東京都集計分の平成27年国勢調査就業状態等基本集計の内、「第5-2表 従業上の地位(8区分),産業(大分類),男女別15歳以上就業者数」の多摩市分の一部を男女別に並び替えて表示したものですが、実際の表は横軸に雇用関係の分類を詳細に明示しており、それも加えて表示すると専門家が観ても焦点の絞れない表となり、ましてやグラフ化は難しいものになります。統計の理解は比較です。比較する相互の関係が明確で無いと評価も出来ないし意味も掴みにくいものになります。

実は「比較」という言葉は科学なのです。「比較文化論」とか「比較社会学」など比較することで物事を把握していく学問があります。その中でも「統計学」はまさにそのものでもあります。だから5年毎の地道な統計調査が重要になりますし、身近な事象にも社会的な変容が背景にあり、その原因や要素が統計に現れるのです。統計は結果として現れますが、その経緯を確認することで、将来的な推移を確実に推計することもできる手法として重要な学問なのです。今では国勢調査データは詳細までオープン情報として提供されています。これらを駆使して、あなたの周りの状況を把握してはいかがでしょう。

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2017年6月 6日 (火)

『国勢調査の就業状態等基本集計』多摩市に診る

最近でこそ新卒の就職率も高くなり売り手市場になっていますが、バブル景気が終わったあとの「失われた20年」日本は長期デフレに陥っていきました。バブル景気が終わった1991年(平成3年)から約20年以上にわたり低迷した期間もダメ押しのように2008年のリーマンショックに追い打ちされ、マンション不況や建設物価の上昇でノックアウトを受けるような感がありました。当然、企業は身を守ろうと内部留保を高めて人件費を減らして行きます。結果として就職困難期を迎えていました。

ところが団塊世代が退職してしまうと雇用環境が変わってきます。丁度そのころが日本の人口構造の転換期にもなりますので、総人口の減少のみならず、団塊世代の現役からの引退で生産年齢人口が急速に落ちていきます。おまけに2011年3月11日、東北を大津波が襲います。すぐに被災地への支援が始まります。おまけに2013年9月には2020年のオリンピックが決定します。つまり建設業の様子が変わります。不思議なもので建設費が高騰すると同時にマンションブームが発生します。タワマンを中心に中国マネーが入り、庶民もつられて投資します。そして同時進行で都心などの再開発が進み、全国に特区構想が展開していきます。

建設業が動くと関連企業は活性化します。関連産業が広い業界ですから、地場産業にも影響して人材の不足が瞬く間に雇用を改善させました。2014年には有効求人数が有効求職者数を上回りました。リーマンショックの後にはハローワークに何度行っても雇用のチャンスすら無かった退職後の団塊世代にも仕事が回ってくるようになりました。年金までなんとか生きなければならないという逼迫感にあった世代でもあります。最後の最後に煮え湯を飲まされたような格好になった世代でもあります。

団塊世代の就業状況を多摩市の例で観てみますと、2000年(平成12年)は現役でしたので雇用は確保されていました。しかし2005年(平成17年)になると早期退職者が尻叩きにあって企業から吐き出されてきます。なんとかしがみついてはいますがはじき出されつつあります。そして60歳退職です。再就職はままならないおじさまたちはハローワークに並びます。2010年(平成22年)リーマンショックは雇用環境を最悪の状態に陥れます。なんとも65歳から厚生年金を受給するまでの苦しかったこと。それを経て2015年(平成27年)に就労環境もやや改善して、職にありつくことになります。そして今、欲を言わなければ適当な仕事はある時代になりました。年金プラス5万円でも幸せは掴めます。

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2017年6月 5日 (月)

『多摩市民の個人所得』全国的にも上位にあります

GDフリーク株式会社が公開している情報に多摩市の住民1人当たり個人所得を示したグラフがあります。高齢者が増えている多摩市にあって、個人所得は伸びているようです。都内市区町村の中では38番目だそうですが、高齢者の年金も含めての所得だから決して困窮とは言えない、豊かなレベルです。全国的にはかなり上に位置するだろうし、行政が言うほど高齢化で困るという所得レベルではないと思います。

多摩市では2007年当たりが所得のピークになっていますが、2000年以降民間マンション開発が盛んになって高所得層が転入しました。それがきっかけで一挙に上昇したのでしょう。2013年も同様で大規模マンションの建替が成功して若い世代が流入しました。所得という一点を捉えてみれば、現役世代が最も収入があるわけで、高齢者等は年金で安定収入しか無いのですから市全体の所得レベルの一喜一憂には寄与しないようです。

とはいえマンション購入者の所得は多いのですが住宅ローン返済は相当額に登ります。従って実質的な生活での消費は限られています。市内で消費する額も識れています。意外と高齢者よりもお金は使えないのかもしれません。多摩市の場合には都内でエンジェル資金の投資額が最も多い自治体ですので、子育てに対する公的投資が転入者の多いことと連動して財政負担になりますが、住民税の増加と子育て支援分が見合っていくのだと思います。

グラフに依ると2015年の所得レベルが上っています。やはり新規マンションかなとは思うのですが2007年当時と比べると駅前マンションの供給が多くなったように思います。それに若い世代に中古物件のリノベーション需要が増してきて、30年、40年経過したマンションのリノベーション物件が増えてきているように思います。新築物件の価格が高騰しています。一次のバブル期のような価格帯になっていますので、実際的には手が出ない価格設定です。そんな中で中古物件が見直されていて、多摩センター駅から10分以内で500万円程度の投資をすれば気に入った住宅が駅から3000万円以内で入手可能です。バス便ともなるとさらに安くなりますので、マイカー通勤の人にとっては駐車場2台でダブルインカムの生活も用意されているのです。それが今の多摩ニュータウンでもあるのです。

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2017年6月 4日 (日)

旅日記「テンペリアウキオ教会」

60° 10′ 23″ N, 24° 55′ 31″ E

『テンペリアウキオ教会は、フィンランドのヘルシンキ市・トーロにある、フィンランド福音ルター派教会に属しているキリスト教会である。スオマライネン兄弟によって設計され、1969年に完成した。』この教会も又、学生時代の写真集で観た。実は岩山をくり抜いている状況が見えないで『凄いなぁ』という関心だけが印象だったが、ようやく状況が見えてきた。岩の塊であるスカンジナビア半島(行ってみなければ実感として解らなかった)の小高い岩塊に掘られた穴に屋根を掛けた建物で、直接岩肌を壁面として音の吸収と反射を上手くコントロールした秀作である。

見事すぎて二の句が継げないとはこのことで、恐らく協会に佇んだ人々はその自然を活かした空間に絶句するに違いない。それほど衝撃的なデザインで人々を圧倒して包み込む。そこが教会であることを改めて思うと、人の心を見事に糾合する仕掛けが感じ取れる。天井は銅板で葺かれているが柱はなく、外部からの明り取りのスリットを支える細いフレームで大きな湾曲の屋根を支えている。それが宇宙人の乗り物として描かれる丸い宇宙船のように広がりを持ち、胎内に入っている気持ちよさを感じさせる。なんとも巧すぎて説明もできない程だ。やはり一度体感しなければならない作品の一つである。(2016.6)

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2017年6月 3日 (土)

『多摩ニュータウンの人口推移』社人研推計より

高齢化を心配する論調が多いのですが、多摩市でも2020年以降は高齢化のスピードは緩みます。団塊世代は確実に高齢化するのですが、新しく高齢者の仲間入りする人口が減っていくので、結果として高齢化のスピードは緩和されてきます。生産年齢の減少も同じで世代別の人口が減少しているので減ってきます。その分、高齢者が労働市場に参加してくれると社会や経済の循環はゆとりを持つようになります。

多摩市の世代別推移を観察しますと2005年段階では今後の高齢化と生産年齢の人口の減少との対比が大きく見えて、将来不安を呼び起こします。ところが現状の2017年という社会を体感していて、あまり将来不安を感じなくなっていることも実感としてあります。失業率の少なさや求人倍率の増加、高齢者の就労機会の増加など日本の社会状況は極めて良好です。

若い人たちの意識にも少しずつ変化が見られるのではないかと思います。賃金は上がりませんが失業はないという中で、若い世代は自らの人生設計を持ち始めているように思います。最近の東京の賃金体系と地方の賃金体系に差はあっても実際に生活するレベルでは意外と変わらないという実態があるように感じています。それこそ統計的に議論すべきところですが、割りと主観的な判断で思っていることを述べているのですが、これを仮設として実態を探ってみたいとも思います。

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安直にググってみますと、特定非営利活動法人ふるさと回帰支援センター地方移住のデータでは40代までの若い世代が確実に地方移住を考えていて、現実にその比率を増やしているという報告があります。実際、山梨県北杜市の社会増を説明していますし、島根県中山間地域研究センターの調査では島根県の中山間に転入する世帯の意識など、都会では持てない価値を見出しての地方移住が有るのだという実感を得ることができます。

私たちはそろそろ安定した社会に入っているのではないでしょうか。定常社会という安定した社会。経済も安定して今ある環境を大切にしつつ持続可能な社会へ導いていくことができる様々な条件がクリアーされつつ有る社会。それが今から始まる定常社会ではないかと思うのです。ある意味では豊かな社会を作り上げるための条件が揃った段階で、今後はこの基盤を活かして将来を描いていくことになるのだと思うのです。

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h26/hakusho/h27/html/n1211000.html

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2017年6月 2日 (金)

『多摩ニュータウンの人口推移』多摩NT研究より

多摩ニュータウン学会が発行している「多摩ニュータウン研究」には2010年から2016年までの多摩NT区域内人口が掲載されています。2017年度版が出て2016年のデータが追加されました。昨年同様の推移で特に変化のない推移が続いています。世帯分離が始まっている八王子市も従来から人口減少が心配されている多摩市域も人口減少ではなく安定して人口が確保されているというのが不思議です。多摩ニュータウン区域の人口が横山陽さんの提供されるデータを参考にグラフ化してみました。

こんなグラフを漫然と眺めていても将来の衰退を占うことは出来ません。なぜなら第一印象は「このまま今後も推移する」という理解になってしまうからです。多少増えていると言えば増えていますが、減っているとは言えないので今後もこんな感じで推移するのかなとつい思ってしまいます。社人研が出している多摩市の人口推計では多摩ニュータウン研究の動向と類似していると言えば類似していて、現在は特に変化なしの状況が常態であることがわかります。どうも推計では2020年からの動きが下降線に入るシグナルのようで、団塊世代が70代に入っていて、その10年先を占った段階、つまり多摩ニュータウン当初入居世代が80代を迎えて終末を迎えて高齢者の数が頭打ちになることと相応して、生産年齢が相対的に減少するのが人口減少の原因のようです。

ここで多摩ニュータウンの人口減少を食い止める方法を提案しましょう。それは解りきったことでも有るのですが、生産年齢の人口減少を抑制することです。そのための方法を幾つか考えてみます。①一つには若い世代が働ける環境整備です。②二つ目は魅力的な住環境の提供です。そして③三つ目は子育て環境の充実です。その他に高齢化対応や教育環境など幾つかの要素はありますが、その他のものは個人がお金で買えます。ところが提案した三要素は政策ありきで、個人のお金では買えないのです。

① の改善方法はテレワークです。多摩ニュータウンにテレワークの拠点を整備したりSOHO環境を充実させるのです。それも都心と変わらない環境整備を造ります。

② は集合住宅リノベです。これは経済状況に合わせて提供できます。駅前からバス便、自家用車通勤まで多様です。そして

③ は保育園や学童保育は当たり前、子育て請負の公認ニーナが公的に準備されている制度が広がっています。

多摩ニュータウンがこうしたサービスの徹底をすることで人口は減りませんし、減ったとしても子育て世代は定着します。多摩ニュータウンはいつまでも子育ての街なのです。

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2017年6月 1日 (木)

『国立社会保障・人口問題研究所』の利用法:憲法論議

政治家も報道も国民にショックを与えるのが好きです。センセーショナルな出来事をブチ上げて国民意識を壊乱して躊躇迷迷混沌の中から鋭利な政治的方向を定めてしまうというやり方は現在の先頭を行く政治家の常套手段となっているように思います。最近の危機意識を喚起する「テロ」というキーワードをわざわざ法案の称呼に組み入れて「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」を「テロ等準備罪」と呼ぶことで国民の単純な理解を涵養して懐柔していこうというやり方は、決して正当な政治手腕ではありません。むしろ法案である内容について平成10年の成立時の目的から解読して平成18年に改正された後、さらに今回の改正をする必要性を国民にわかりやすく現状の犯罪状況などを統計情報として開示して必要性を議論しなければ、国会のやり取りだけでは国民は理解に及ばないように思います。

国民もインターネットなどを駆使して勉強すればいいのですが、忙しい生活の中でなかなかそうは行きません。そんな状況にありながら「国民的な議論になっていない」なかで多くの法案が国会を通過します。改めて憲法改正の議論など、間違いなく日本の骨格を変える可能性のある法案ですが同じような方法で国会を通過する可能性が高いのです。私も含めて単に反対だけではない憲法の理解を深め、広めたいと思います。そのためにも国会で正面切って議論でき、国民に比較対象として示すことができる対案が望まれます。自民党草案ではなく、民進党も共産党も憲法を見つめて対案を出すべきだと思います。

「戦後の憲法を守ってきたから平和は守られた」という主張は詭弁です。たまたま時代がこうした時代であったことなのであって国民が憲法に因って戦禍を免れたわけではありません。国民そのものが「戦争はいやだ」という気持ちがあったればこその平和です。

戦後の憲法は多くの矛盾をはらんでいます。微に入り細に入り訂正すべきは訂正し、修正すべきは修正すべきです。「法改正」も頻繁に行われていますし、社会を運営するための法律もどんどん生まれて改正されています。同様に「日本国憲法」も改正すべき時期に来ているのです。

思わず統計とは方向が違う論考になってしまいましたが基本はデータに基づいた議論をしなければいつの間にか思いの外の出来事が成立して進んでいたりするものですから、私たちは言葉のマジックにだまされないようにしなければならないということなのです。その為にも正確な数字を受け止められるような環境づくりが前提になるのです。戦後の人口急増から人口減少時代に入っていく時です。改めて憲法を見つめるのは欠かせないことだと思っています。

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