2016年8月11日 (木)

ちょっと息抜き:「ポケモンGO」

「社会現象」と言ってしまえばそれっきりかもしれないが、世界で流行っているゲームってそれほどない。「ポケモンGO」が日本でも解禁され、週末の公園や商業拠点にスマホに目を奪われた人々があふれる光景がここかしこに視られたが、ようやく落ち着いてきたのか初期の程ではなくなったという印象がある。ゲームの内容は多くの解説があるので省略するが、私のところでも30歳を遠に過ぎた息子が早速、ダウンロードして公園を散策中にキャラクターを画面上で手にして喜んでいた。まあ、それに打ち込んでいくことは、嘗てのポケモンカードを集めた世代がバーチャル世界に飛び込んだと同様にゲーム感覚でキャラクター集めを始めるのだと思う。

私の世代、あるいは私にとってみればゲームとは麻雀やパチンコ、花札やトランプという認識が強い。インベーダーゲームが流行っていた頃は貧乏学生だったのでとてもゲームに資金を費やすことが出来ず、投資しても戻ってくる可能性のある麻雀やパチンコに熱中したものだ。しかし、それも「非生産性」のゲームだと自己判断して止めた。そう、人生に対して「生産性」を課し始めた時期がある。ゲームをするにも「脳の刺激や訓練」を目的とすることにした。その為には単なる時間の消費ではないゲーム。生産的なゲームが尊ばれることとした。そしてそのゲームは時に「知恵の輪」に熱中し、さらに私にとって最も難しいのがルービックキューブだった。未だに溶けていない。もうすでに下火になっているが当時はどこに行ってもルービックキューブを手にした若者がいた。テレビでもゲームの競争が放映されていたほどだ。

知恵の輪を始めると、まずはじっくり眺める。動かし方の原理原則を認識してやおらチャレンジし始めるのだが、最初は手になじませるように動きを、ルールを少しずつ脳に染み込ませていく。何度か繰り返している内に幾つかの解法が見えてきて、その解法を繋いでいくことをしてみる。そのヒントを少しずつ膨らませて、いつの間にか溶ける。「解ける」のではなく脳が「溶ける」ようにして知恵の輪が外れるのだ。

これは脳の訓練だと思っている。職能としての建築のデザインをしている時も同様で、脳の中で幾つかの可能性を模索しつつ、悶々とした後のあるときにひらめくことになる。必ず悶々とした世界から開放されることになる。それが建築デザインの妙味であり、実は知恵の輪の解けた感動に似ている。実は「ポケモンGO」にはそれがないと思う。蒐集家が珍しいものを集めるというのがポケモンの世界。昆虫採集や切手集めの世界でもある。それには興味が無い。あくまでも脳の訓練を、あるいは脳の刺激を求めている。

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