2018年2月 2日 (金)

「2月1日は水素の日」だそうだ

今朝の新聞報道(朝日新聞)で始めて知ったのですが、水素の分子が2.01なのにちなんでの2月1日を「東京水素の日」にしたことが正確な情報のようだ。東京都が昨年末に発表して昨日が『東京水素の日 記念イベント水素エネルギー推進セミナー「水素が動かす、東京の未来」』としてイベントを開催した。

https://twitter.com/hashtag/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E3%81%AE%E6%97%A5?src=hash

そこで燃料電池自動車の仕組みをJHFCプロジェクトのホームページでさわりを勉強してみた。わかったことは結構課題が大きいことで、それからするとやはり直接燃料電池を使うのではなく、出来上がった電気を利用するほうが一般家庭でも自動車利用でも簡便な気がしてきた。

http://www.jari.or.jp/portals/0/jhfc/beginner/about_fcv/index.html

今まさにエネルギーは原発から如何に離れるかを世界的なテーマにして動き出しているように思う。その為には再生可能エネルギー100%のエネルギー社会が生まれてくる前哨戦でもあるようにもみえる。だから次世代のエネルギーとして水素が叫ばれることは歓迎すべきことだが、その原料を天然ガスや石油に求めたのでは意味がない。やはり再生可能エネルギーに求めていきたい。

水素燃料電池自動車の動力として普及させるためには水素を供給する水素スタンドが必要になる。その規模は安全性を確保したり場を提供するのに、普及させるための経過としても現状のガソリンスタンドを使うことになるだろう。一方で電気の急速充電設備を備えたスタンドも生まれているが、これについては充電時間がかかるので、ドライブインやスーパーなどの店舗に併設されるとすれば、今後は水素と電気の戦いになるやも識れない。

どうも「水素の日」として走り出した東京都ではあるが、何事にも不精なエネルギー消費者側の発想としては電気に軍配を挙げてしまうのだ。たとえばマンション内に水素発電所を設置して、オール電化のマンションを作るとか・・・

2018年1月31日 (水)

「電気か水素か」

自動車業界が喧しい。「ハイブリッドはもう終わりだ」「10年後は自動運転だ」「EVカーが自動車のメインになる」「車はシェアする時代に入った」「今後はバッテリー技術が世界を折檻する」「自動運転免許証が発行される」などといろいろな議論が渦巻く中で、実際はどうなるのかが気になってくる。

とはいえ簡単ではない、どうもエンジンからモーターに代わってくるのは確かなようで、10年もしないうちにガソリンが売れなくなるとするとアラブ諸国は大変だ。ロシアもアメリカだって大変だと思う。それでも電気は必要なのだから、原子力発電が継続される気配もあるが、石油の消費が減速すれば原油価格も低下するはずで、その分、ガソリン車が延命するようにも思う。何事も需要と供給のバランスで物事が動くのだが、実際にはどこまで進むのかがわからない。

二年前にノルウェーに行ったが、あちらの国は水力発電100%で海外にも電気を輸出しているという。石油も掘れるのだが電力は100%再生可能エネルギーだというから大したものだ。それもコストは非常に安価である。だから電気自動車を推奨していて、充電代金は無料、高速料金もフェリー代もただというから太っ腹。とにかく安い電気で自動車を動かせるのだから生活コストも減ってくる。税金を多額に納めているったってエネルギーコストが無料ならば多少の税負担が高くても許せるという判断になる。

そこでアラブも大規模な砂漠に太陽光発電や太陽熱発電を設備して電気を売れば良い。遠距離輸送も最近では技術開発で可能な方法が編み出されているし、持ち運べないならば水素に変えてタンク輸送すれば良い。電気は電気分解で水素と酸素が作れるのだから、水素を製造して運べれば水と反応させてピストンを回せば自動車は動くのである。水素エンジンで発電して電気で自動車を走らせる方法もある。

さては究極はバッテリー技術か水素エンジンの戦いになるのかもしれない。

2017年12月12日 (火)

多摩ニュータウンの後期高齢者

2022年問題でクローズアップされる予定の団塊世代ですが、いまはおとなしく高齢者の中層を汚しているのです。そもそも団塊世代が話題に登ってしまうのは、昭和22年から昭和24年(1947年1948年1949年)生まれの人口が集中しているからに他ならないからです。戦争が終わって戦地から戻った男はやることは一緒で、みんなが子作りに励みます。戦後、日本を占領したGHQがペニシリンなんて特効薬を大量に持ち込んだので、一挙に死亡率が下がって子供が死ななくなった。そうなれば人口は増える増える。ただでさえ配給で汲々と言っている日本国民に与える食料にも限界があると、急遽「優生保護法」なんという産児制限をするものだから一挙に出産が抑えられた。だから必然的に団塊世代が浮いた。

これは全国一律だから多摩ニュータウンだけの問題でもないが、どうも団塊世代が特に集中しているように報道されるのがまた気になる。そこで改めて多摩ニュータウンの年齢構成を観てみよう。特に以下のグラフを観てもらいたい。子供の比率と子育て世代の比率、さらに高齢者の比率である。結論から言うと全国と比較して団塊世代が多いわけではないことがわかる。一方で子育て世帯が多く子供も多いのだ。事実を見誤ってはならない。

2022年問題は全国的な問題であり、多摩ニュータウンでも同様に問題化するが、その行末は比較的危機的ではないと捉えられる。ただし問題は今まさに改善すべきであることは確かで、現実的な問題として後期高齢者が集中しているのは都営住宅と初期の分譲団地である。その二つの地区に改善する手立てを講ずることで多摩ニュータウンは元気になる。その方法を提案していこうと思う。すでに腹案はある。それを都営住宅を司る行政も、分譲団地を運営する管理組合もしっかりと受け止めてもらいたい。

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2017年12月 8日 (金)

多摩ニュータウンの高齢化の本当のところ

12月3日の朝日新聞報道では全国10のニュータウンを並べて比較しているのだが、多摩ニュータウンの高齢化率は21.3%と8位、単身高齢者率は8.5%と同じく8位で全国平均より低い。それでもなお、後期高齢者をクローズアップさせて話題にする所で記者の作為的な意志が見えるのだが、「何でもかんでもニュータウンは高齢化」という捉え方が悪意にも似た印象を覚える。ならば本当のところはどうなのかを探ってみるしか無い。そこで多摩ニュータウンの内部をもう少し垣間見てみる。

多摩ニュータウンは4市から成っているのはご存知だと思うが、全国と同様、全体としては高齢化はしているが多摩市が足を引っ張っている格好で進んでいる。たとえば2016年の高齢化率は多摩市が28.5%ならは次に続く八王子市は18.2%というように10ポイントも低い。多摩ニュータウンの人口を比較しても多摩市は全体の半分なので半分は若いということも言えるのだ。それを多摩市のみの部分で全体を語るのは余りにも勉強不足だということになる。高齢化そのものは日本に架せられた運命なのだからニュータウンだけをあげつらうのはもういい加減にしてもらいたいものだ。

つねづね感じることだが「ニュータウン」という言葉が独り歩きしているようにも思える。全国一律の「ニュータウン」がある種のトレンドを持っているように理解され、一括りにされることが常態化しているようにも見える。そこで「多摩ニュータウン」の名称を変えてみてはどうかと思う。たとえば短く「多摩ニュー」とか「新多摩」、あるいは、ひらがなで「たま」とか、大栗川と乞田川の多摩川流域を冠して「たま支流区」などいい加減な構想をしてみるのだが、実のところ誤解が多い。

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2017年12月 3日 (日)

念には念を入れて諏訪二丁目の世帯の構成人数の推移を検証する

今日12月3日の朝日新聞にニュータウン特集があって、もれなく多摩ニュータウンも掲載されていた。でも報道は高齢化一色。よくよく見ると多摩ニュータウンは若いのだが、ニュータウンとして並べられるとone of themで何をか言わんかである。

世間の評価は別として多摩ニュータウンでは建替やリノベに依る若返り化が始まったところだ。単身高齢者世帯が増えてしまい、高齢夫婦が残っていた所に建替によって若い世帯がどっと入った。特に子育て世帯が増えたので3人4人世帯が3倍増と急増して街は若返った。

朝日新聞の記事もそうだが「ニュータウン」を一括りにすることの問題が現れている。記事を丁寧に読めば高齢化しているニュータウンとそうでないニュータウンがあることがわかるが、タイトルはやはり高齢化だ。「多様性を表し始めたニュータウン」とか「再生し始めたニュータウン」などと希望の未来を語るようなキャッチフレーズにしてもらいたい。そのほうが読者を明るくすると思うので、そこまで読み込んで報道してもらいたいものだ。

実際上はニュータウンと言っても周辺市街地と連担しているし孤立しているわけではない。規模にも依るしニュータウンの位置にもよって活性化している地区と衰退を見せている地区がある。たとえば戸建住宅が集中する団地は高齢化が進みやすいし、バス便の団地ではやはり同様な傾向がある。しかし、駅近の団地では再生が進んでいて建替も盛んである。

報道もそのあたりに留意していただきたいし行政もちゃんとしたメッセージを送る努力をお願いしたい。そこには自分たちの生きる場として選んだ市民が居るので、その声を公的賃貸に住む高齢者に絞って一方的に聴き取って報道するのではなく、未来を見据えた若い世代の声も聞いてもらいたい。そういう意味では市民としては再び元気な街に再生しなければならないので、大いに分譲団地の建替を推進しよう。もちろんその前にリノベーションも有効である。

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2017年11月26日 (日)

多摩ニュータウンの団地建替

2013年10月と11月に諏訪2丁目住宅がブリリア多摩ニュータウンに名称変更され、640戸が1249戸になる建替が完成して大規模に引っ越しが始まった。それに引き続くように八王子市松が谷17-1団地80戸が239戸のレーベン多摩センターとして建替が始まり、第一期第二期分譲は完売した。いずれも団地管理組合が合意して進めている組合施行の建替事業である。

 

1971年に入居した諏訪2丁目住宅は42年と半年で建て替え後の住まいに移ったし、1976年3月入居の松が谷団地も2018年3月完成と当初の入居後42年で建替が実現することになる。いずれも42年間の周期での建替事業完成という流れは今後の多摩ニュータウンの建替の機運を高める予兆になるだろう。

 

今、我々の廻りにいる専門家達は多摩ニュータウンでの建替については否定的である。幾つかの団地で建替が検討され、具体化が困難であることがわかると相次いで事業参加を検討していたディベロッパーも遠のいていった。団地の建替事業は基本的に合意形成が困難で、それさえ整えば事業協力者としての参加の検討は容易である。合意形成が整うのならば事業参加を検討する採算計算は簡単で、実施についても事業ベースさえ整えば容易に参加できる。既存入居者があることで販売リスクも軽減されるし、土地の仕入れリスクや建設費の投資リスクも軽減される。ディベロッパーにとってはありがたい事業になる。

 

もちろん建替に際しては居住者間の権利関係など整理すべき要素もあるが、一般のマンション建替え事業である等価交換方式では、地主を巻き込んでマンション事業を進めるので権利調整もディベロッパーの仕事になる。しかし組合施行の建替はすべて組合が法的な調整も整えてくれるので楽である。だから建替について合意形成が整った団地の事業協力者を要請する場合にはディベロッパーの参加が容易になる。

 

私も諏訪2丁目住宅の建替事業にNPOとして関わって事業協力者を募集するのに協力した。40社位だったか、声がけをして多くの事業参加者に企画を依頼していくつかの事業者とも面談もした。結局は東京建物が事業協力者に選定され、さらにコンサルタントと設計者も選定した。それだけ整えば事業は進む。団地の建替事業はこうした環境づくりが大切で、それを着実に進めることが事業完成の基本になる。私は多摩ニュータウンの建替事業には否定的ではない。建替すべき団地はいくつかある。今後の多摩ニュータウンの建替事業に期待したい。

 

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グーグルより

2017年10月17日 (火)

『男と女』戦争の時、男と女は

第2次大戦の犠牲者が310万人と言われるなかで、虎視眈々と戦争準備をしていた日本での家族関係はどうだったのか、昭和15年の国勢調査データから垣間見てみましょう。

時代は日中戦争の成果を喧伝された国民がそこにいます。すでに第2次世界大戦はヨーロッパで始まっており、その報道は毎日のニュースで知らされています。「いよいよ日本も」という戦争体制の中で戦時食料の増産も国民の課題になって進められています。今から思えば国全体が戦争モードで、戦争反対なんて言えないムードだったのです。だから一貫して「産めよ増やせよ」ですから、世代が若いほど人口も増えていきます。当時は男女を産み分ける技術も無いので同じように生まれて育ちます。

戦争が起こっていると言っても、国外での戦争は国民の生活には響きません。戦下で食糧不足ではあるのですが、子供を動員した増産運動に沿って計画的に増産計画が遂行されているという印象があります。だから国民は至って平穏です。全てに道徳教育が行き届いていて、国の方向を信じているのです。まるで現代の北朝鮮のようです。天皇を信じてそれを支える軍隊に経緯を払っているのが国民の総意なのです。

国民に十分な情報が行き届かない状況がありました。ある意味では情報統制が可能だった時代の第二次世界大戦前夜であったのです。その日本の状況は、無理矢理に国民に情報を流さない中国の今にも似て、情報を開示していれば実際に起こるはずの改革を押しとどめて、国として平静を装っている状況に見えます。その結果として日本はアメリカとの戦禍を交えるという愚行に走るわけで、いまの中国に非常に似ているような状況になっています。

果たして日本ではアメリカとの戦争は勃発するのです。情報が限られていた結果ではあるものの、制止することができない太平洋戦争のはじまりです。日本の人口はまさに戦争のための人柱を増産した時代でした。明治以降、日本は国力拡大を目指して戦争のための人口を増産したのです。それがとどまることを知らず人身を弾として戦場に送り込んだのです。

今、人口は減り続けています。ならぱ、その目的は何か。単にこれまでの経緯で必然的な人口減少を多くの識者が語っていますが、人口減少の目的を見出すのも、それを考えるのも未来を予測する機会になりそうに思うのです。

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2017年9月22日 (金)

『男と女』生涯未婚率のターニングポイントが経済事情だとすれば未来はどうなる

平成27年版厚生労働白書に掲載された生涯未婚率の推移には2035年までの将来推計も含まれています。そこには将来を見通した未婚率の変化が予測されていて、その原因が想定されているようです。大きなターニングポイントは昭和60(1985)年の生涯未婚率が男性優位に交代した時が最初。男女とも4%付近でまだまだ婚姻率が高かった時代です。それから男性の未婚率が鰻登りで2020年には推定値で26.6歳にまで伸びていきます。その後10年はやや安定しますが2035年に首をもたげて29.0歳に達します。

また昭和55年に始まる女性の生涯未婚率の安定化は、昭和48(1973)年(第1次)と昭和54(1979)年(第2次)に 始まり昭和55(1980)年にピークを迎えるオイルショックで景気後退が日本を襲ったことを機会に、女性の場合には安全パイを結婚に求めたことがグラフからも明らかになっているのです。でもその反動なのか男性の未婚率が増加し始めます。生涯未婚率とは、50歳時点で1度も結婚をしたことのない人の割合を言うので、それが増加し続けているということは若い世代が結婚しないということになります。初婚年齢の上昇も又、生涯未婚率を上昇させます。

生涯未婚率について女性についても男性ほどではないですが上昇します。同じように2020年推計では17.8%となり2035年には19.2%に達します。2030年の到達予測の原因については多くのニュースソースがありますので、この背景などが伝わってきます。基本は男性の婚姻に対する減退にあるようで「草食男子」「絶食男子」などと評価されて、若者の結婚願望が減退していることが主要因だという結論のようです。特に初婚年齢の上昇は男性の収入如何であるかのような説明がされています。「お金がなければ結婚できない」という理由が主だった結婚しない説明になっています。

こうした意見には女性側の原因という説明はありません。しかし、根源は女性側の意見が反映しているのではないかという気もします。女性としては「結婚」は「出産」であり「子育て」であり「教育」であり「立派な大人」に成長させることです。もちろん男性も子供の成長を考えないわけではありませんが、「子育ては金」と言う時代を生きてきて、「教育レベルも金次第」という意識を植え付けられている以上、「金のある男」を選びます。こうなると選択肢は少なくなり、年収の上がらない非正規雇用などは候補から外れて、そもそも男性側も諦め気分で「絶食男子」に変身していくのかもしれません。なんだか雌雄が共存するアブラムシや魚のような気がしてきました。いやな渡世ですね。

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2017年9月20日 (水)

『男と女』バブル以降、男が結婚しなくなったのか、それとも出来なくなったのか

中国では結婚の条件が「持ち家」だという。日本では「手鍋提げても」というつましい言葉もあるが、事実としてバブル経済移行、男性の生涯未婚率が急速に上昇している傾向があります。昭和60(1985)年に3.9%だったものが平成27(2015)年には24.2%にまで急速に増加しているという数値がでていて、まだまだ増えていく傾向にあります。「結婚したくない」のか「結婚できない」のか、男性の四分の一が生涯を単身で暮らすという実態に対してその伸びが急速であるだけに原因を探りたいと思うのです。

そこでグーグルで「男性の生涯未婚率の急増の原因は」と検索すると朝日新聞の記名記事が紹介されていました。「生涯未婚率、男性23%・女性14% 過去最高 井上充昌2017年4月5日」そこには社人研の意見として「同研究所が昨年9月に公表した出生動向基本調査によると、「いずれは結婚したい」と考える18~34歳の未婚者の割合は男性85.7%、女性89.3%だった。高水準だが、「結婚資金」や「結婚のための住居」の確保が障害と考えている人が多く、研究所の担当者は「非正規労働者の増加も生涯未婚率の上昇に影響している」とみている。」という結論を示していました。

それにしても30年間の間に急上昇した男性の未婚率ですが、社人研の理由としては「結婚資金」や「結婚のための住居」を挙げているのですが、結婚は結婚届を出せば成立しますし、住居は公共賃貸住宅を選択すれば持ち家でなくても安定できるはず。それなのに結婚しないという状況は「結婚したくない」という選択ではないだろうかと思うのです。男性の心の中に「一人のほうが気楽」「異性との付き合いは面倒」などの気持ちが男性に現れたのがバブル経済時ではなかったかと思うのです。

バブルで浮かれた日本人の心に「一人でも生きられる」という意識が女性に生稀始めたと思うのです。ジュリアナのお立ち台に立って踊っていた女性が象徴的です。「一人の男に牛耳られる結婚なんて」と思いつつ腰を振っていたのではないでしょうか。女性が主張すると男性は引っ込みます。その頃から女性の社会進出が具体化してきます。男女雇用機会均等法(1985年に成立し、翌86年施行)です。まさに女性の社会進出が「男性の気後れ」と「女性の出産優位」を具現化した時代だと思えます。

最近の科学では自分の子供かどうか疑わしくてDNA調査で確認するビジネスが流行っているようです。こうした女性優位の時代に昭和60(1985)年の男女雇用機会均等法は一人者の男性を増やしていったのです。むしろ男性よりも女性に原因があったと言うべきでしょう。

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2017年7月31日 (月)

『国勢調査推移集計』最初の国勢調査、大正9年から平成27年までの国勢調査を辿ると時代の変化が一目瞭然-昭和20年の国勢調査は実施されませんでした

1941年に閣議決定された人口政策確立綱項に基づく スローガン「産めよ増やせよ」で人口が急増していく状況がさらに継続しているので、この状態は太平洋戦争前まで続きます。それが戦争で一変します。まずは戦場に若者が出征します。太平洋戦争は戦死者も多く出ました。20代から30代を中心に人口減少が発生しました。人口ピラミッドに現れるように人口構成が歪になってきます。終戦後、帰還した人々は一斉に子作りに励みます。「富国強兵」というスローガンは人を生ませて殺す為のキャッチフレーズだったのですね。

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だから昭和15年までの国勢調査はすべてキレイな三角形の人口ピラミッドが表れます。1人の女性が生む子供の数が3人を超えていた時代です。国勢調査が始まった大正9年から下がり始めたようですが、それでも生む女性の数が増えてもいますから、当然、その子供の数も増えていきます。そのピラミッドが歪になったのが太平洋戦争であり、その後の産児制限です。「富国強兵」を目指すために「産めよ増やせよ」と国民を陽動した罪は重いのです。「由らしむべし知らしむべからず」という声が聞こえてきそうな気配です。

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戦争が終わりますと日本人の人口構成は様変わりします。戦争で命を奪われた働き盛りがいなくなりました。何の為の戦争だったのでしょう誰のための戦争だったのでしょう。国民の命を、それも働き盛りの命をこれほどまでに傷つけてしまって、取替しようのない時代を作ってしまったのです。

終戦のとき、昭和20(1945)年は国勢調査年です。天皇が8月15日に終戦の宣言を国民にした、1ヶ月半の10月1日にちゃんとした国勢調査など出来るわけはありません。現在、国勢調査データとして使われているのは、戦時下の昭和19年から始めていた人口調査に国内にいた軍人軍属の数を加算して集計して出したものだそうです。遅ればせながら本格的な国勢調査は2年後の昭和22年になります。

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私の個人的な体験ですが、戦後普及したペニシリンは日本人の命を伸ばしました。お尻に注射するので痛いのなんのって・・・。子供の頃、往診に来てくれた田村先生の太い顔が未だに印象に残っています。あの先生、専門は耳鼻科だったようなのですが、内科もやっていたようです。医師不足の時代なんですね。そんな動きがその後の長寿社会を作っていくのですね。

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