2017年9月21日 (木)

『男と女』女性優位のそれから

誰の子か判らないので検査に頼るとのことで、DNA親子鑑定にいくら掛かるのかを調べてみたら、以外や以外、安っ。2万円で出来るんだという発見はいささか驚きました。広告ページだから実際にはもっと掛かるのかもしれませんが、目安としてそんなもんだったらやってみようかという人もいるはず。そもそも夫婦仲が怪しくなってきたら、あるいは親の相続が近づいてきたら考え始めるケースがありそうだと思うのは人の性でしょう。

http://www.genetrackjapan.com/?gclid=EAIaIQobChMI66G30-C01gIVRBdoCh0TxA59EAAYAiAAEgKlFvD_BwE

「誰の子か判るのは女性だけ」と子供を作る権利を主張する女性も多くなり、さらに同時に複数の男性と交際がある場合には「誰の子か解らない」という状況も表れます。妊娠したので「できちゃった」と表明された日本人男性はだいたい「責任」とってしまうので、最も有利な男性に打ち明けてみることが普通だろう。そうなるとどこかに矛盾が生じて「似ていない」という話に発展します。そもそも血液型のマッチングが合わなければ早期発見もできますが、似ていない親子なんてどこにでもありますから、わざわざDNA鑑定にまで行かない親子も多くあるのでしょう。

男女雇用機会均等法が生まれたのが昭和60(1985)年だから、それ以前から女性の社会進出に対して議論が重ねられていました。女性の未婚率は戦後安定して増えていたのですが昭和55年から増えなくなって行きます。それに対して男性の未婚率は増加の一途を辿るのです。最近は「できちゃった結婚」が主流だとも聴きますが、いつの時代から顕在化しているのでしょう。統計的に集計しているという話も聞かないのでわかりませんが昭和55年と言うのは団塊世代が30歳を超えたばかり。オイルショックのあとで、経済的にもシュリンクした時代です。特に団塊女性の場合には婚期の最後に当たります。この際、何とか子作りして結婚の道へと思ったのだとしたら・・・とふと思ってもしまいます。

いずれにしろ、統計は正直です。昭和55年に女性の未婚率が安定し始め、同時に男性の未婚率が急増していく過程にはちゃんとした理由があります。それは社会現象としては原因が必ずあるのです。それを見つけるのも統計に携わる人の責任だとも思います。私の調べが足らないのかもしれません。もう少し原因究明にネットをググってみようと思います。みなさんもどうぞ・・・。

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2017年9月20日 (水)

『男と女』バブル以降、男が結婚しなくなったのか、それとも出来なくなったのか

中国では結婚の条件が「持ち家」だという。日本では「手鍋提げても」というつましい言葉もあるが、事実としてバブル経済移行、男性の生涯未婚率が急速に上昇している傾向があります。昭和60(1985)年に3.9%だったものが平成27(2015)年には24.2%にまで急速に増加しているという数値がでていて、まだまだ増えていく傾向にあります。「結婚したくない」のか「結婚できない」のか、男性の四分の一が生涯を単身で暮らすという実態に対してその伸びが急速であるだけに原因を探りたいと思うのです。

そこでグーグルで「男性の生涯未婚率の急増の原因は」と検索すると朝日新聞の記名記事が紹介されていました。「生涯未婚率、男性23%・女性14% 過去最高 井上充昌2017年4月5日」そこには社人研の意見として「同研究所が昨年9月に公表した出生動向基本調査によると、「いずれは結婚したい」と考える18~34歳の未婚者の割合は男性85.7%、女性89.3%だった。高水準だが、「結婚資金」や「結婚のための住居」の確保が障害と考えている人が多く、研究所の担当者は「非正規労働者の増加も生涯未婚率の上昇に影響している」とみている。」という結論を示していました。

それにしても30年間の間に急上昇した男性の未婚率ですが、社人研の理由としては「結婚資金」や「結婚のための住居」を挙げているのですが、結婚は結婚届を出せば成立しますし、住居は公共賃貸住宅を選択すれば持ち家でなくても安定できるはず。それなのに結婚しないという状況は「結婚したくない」という選択ではないだろうかと思うのです。男性の心の中に「一人のほうが気楽」「異性との付き合いは面倒」などの気持ちが男性に現れたのがバブル経済時ではなかったかと思うのです。

バブルで浮かれた日本人の心に「一人でも生きられる」という意識が女性に生稀始めたと思うのです。ジュリアナのお立ち台に立って踊っていた女性が象徴的です。「一人の男に牛耳られる結婚なんて」と思いつつ腰を振っていたのではないでしょうか。女性が主張すると男性は引っ込みます。その頃から女性の社会進出が具体化してきます。男女雇用機会均等法(1985年に成立し、翌86年施行)です。まさに女性の社会進出が「男性の気後れ」と「女性の出産優位」を具現化した時代だと思えます。

最近の科学では自分の子供かどうか疑わしくてDNA調査で確認するビジネスが流行っているようです。こうした女性優位の時代に昭和60(1985)年の男女雇用機会均等法は一人者の男性を増やしていったのです。むしろ男性よりも女性に原因があったと言うべきでしょう。

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2017年8月 3日 (木)

『国勢調査推移集計』最初の国勢調査と平成27年の国勢調査を比較すると時代の変化が一目瞭然-「花嫁のアメリカ」江成常夫著(講談社文庫)

25歳~29歳が30歳~34歳になる時、戦争で新たな婚期を迎えることのなったのです。いや行き遅れた女性がアメリカの花嫁になったのです。終戦からまもなくマッカーサーが来て連合軍の代表として統治し始めます。それから13年以上の長きに渡って進駐軍は日本全国を統治してしたのです。当然、米軍は男性社会です。日本の女性との交際も盛んに行われたのです。それも戦争で不足していた日本人男子の代わりと言っては失礼ですが、男女が引き合うのは致し方のないこと。その時の記憶が「花嫁のアメリカ」江成常夫著(講談社文庫)にありました。

日本人は歴史的な出来事を省みるのは得意じゃないようにも思います。例えば沖縄が返されたのが昭和47(1972)年5月繊維産業の自由化と交換に変換されたと揶揄されました。「糸を売って縄を買った」という表現を絹の街、桐生市の職員から聴きました。戦後27年間、沖縄は米軍の占領下でパスホートがないと入れませんでした。そこでもアメリカ人との混血を生みました。一時的な触れ合いが齎す不幸も多く生まれたのです。当事は「アイノコ」と呼ばれ差別を受けた混血児も、今はスーパーモデルとして第一線で活躍する人もいるのでしょう。時代は変わりました。

こうした史実を確証するのはやはりデータです。男性より女性の転出が多くなっている世代があります。大正期や昭和初期では出産での若い女性の死亡数が多い時代もありましたが、戦後の病院出産の普及で出産時の危険から急速に救済されました。「産後の肥立ち(回復)が悪い」など、最近の話題にはあまり出ない言葉でもありますが、相変わらず出産は大変な仕事です。

さて、コーホートに観る日本国内の転出や転入、世代ごとの特異な理由での死亡、社会的な動きでの人口減少や増加については全てに裏付けがあります。私にとって、まさに戦後の花嫁の事情はこのコーホートによる情報からでした。昭和59年発売の「花嫁のアメリカ」に続いて「花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998」が2000年に出版されています。同じ絵なり常夫氏の写真集になりますが、当事の歴史を承けた新しい世代が育ちつつあることを物語っていました。戦争というものを通して、アメリカ社会と日本というふれあいの歴史でもあるのです。

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2017年5月30日 (火)

『国立社会保障・人口問題研究所』ひとり親と子供となる世帯の推移:男と女の立場を考える

「離婚が少ない」「婚外子が少ない」という日本や香港のデータを観て、なんとなく「儒教社会」をイメージしてしまうのですが、日本での「一夫一婦制」は明治31年の民法改正によって制定されたので、それまでは「一夫多妻」が認められていました。「二号さん」という呼び方も財産分与の順位を表す整理番号のようで、決して「儒教の国だから云々」という説明は当たらないように思います。どちらかと言うと「家父長制度」が浸透している社会で、財産分与などのルール付を近代化というか西洋化に向けて進めている中で「夫婦」のあり方が整理され、その子の立場も明確になる中で「一夫一婦制」が浸透してきたのではないかと思うのです。

一方で戦後の「民主主義」が台頭してきたのと女性も社会進出することが現実的になり選挙も含めて「男女平等」という概念が台頭してきて、さらに最近では子供を作ることに関しては「女性優位」が言われるようになってきました。「誰の子か判るのは女性だけ」だとか「産む産まないの判断は女性だけ」と子供を作ることに関しては男性は権利を持たない時代に入ってきています。従って子育ても女性優位で男性は扶養費用を提供する立場になってしまいます。時々、産み落としたままで育てない母親もいますが、大概は女性が育てるのが通例になっています。

こうした傾向は徐々にですが進んでいくと思われます。シングルマザーは社会現象としてのみならず、こうした人達が集まり企業活動を展開したり、子育てしやすい職場を創出するなど、環境改善を積極的に進める傾向も見えています。特にテレワークで仕事が出来る時代にあって、女性の労働環境は大きく変わっています。多摩ニュータウンでも女性だけで起業する動きは20年近く前から始まっていますし、そこそこの企業として地位を築いている人の顔も浮かんできます。結婚していても子育て中の母親はドンとしていますし、どっしりと子育てしつつ社会を支えているという自信がみなぎっているようにも思えます。

そんな中、男女の子育てに関する格差は広がっていて結婚しない男性が増え、子を持たない男性が増えている現実を改めて思うと、男性の未来が気がかりです。支える者がいない男性単身者。今後の大きな社会問題にもなってきそうな気配です。従来のように会社が社員の生活を生涯支える雰囲気もないし、完璧に見捨てられてしまって、年金も十分でない男性は生活のために死ぬまで働く消耗品として社会にあふれるのではないかと気に病んでもいます。せめて中国のように「木陰で麻雀する老人」程度にはなりたいものです。

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2016年10月15日 (土)

ちょっと目先を変えて:京都大原三千院の観音様 I do something new a little, and: Kannons in Kyoto Ohara Sanzenin

「あなたの観音様」が一万円で奉納できる。いつから始めたのか、建物内から溢れ出たように観音様の隊列が幾重にも広がっていた。ここは京都大原三千院。懐かしの歌に「女ひとり」があり、記憶に残っているいい歌である。いつか行ってみたい観光地だったので立ち寄ってみた。

京都大原三千院

恋に疲れた女が一人

結城に潮風のすがきの帯が

池の水面に揺れていた

京都大原三千院

恋に疲れた女が一人

「恋に疲れた女が一人」三千院を訪ねて心を癒やすのだが、結城紬の着物を着た女は失恋したのか、それとも不倫の末に悩みを抱えてのお参りなのか、歌詞の行間を読みつつ理解してみたい。

I do something new a little, and: Kannons in Kyoto Ohara Sanzenin

"Your Kannons" but it can be offered up for ten thousand yen. How many layers did Kannons' rank also spread over as from when did you overflow from begun one or in the building? Here is Kyoto Ohara Sanzenin. There is "female one person" in a song of heart infliction, and it's the good song left for the memory. It was the tourist spot I'd like to do sometime, so I dropped in.

Kyoto Ohara Sanzenin

The woman who got tired with love is one.

It's sea breeze in Yuki, with the selling point of, but, a band of putting.

I was shaking in a surface of the water in a pond.

Kyoto Ohara Sanzenin

The woman who got tired with love is one.

"By the woman who got tired with love, one person" I visit at Sanzenin and heal a heart, at the end when the woman who put on a kimono of Yuki pongee is disappointed in love one or immorality, worries, it's held, and, I'd like to understand whether you come, reading a space between the lines of lyrics.

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2016年5月14日 (土)

ちょっと息抜き:単身高齢者、特に男を考える

私の周りで、最近「奥さんを亡くしてから外へ出なくなったんですよ」という噂を聞いた。一寸心配。「奥さんなくしてから陽気になった」という人もいる。笑顔で挨拶する。「エエッあの人が」という驚きに合う。両極端だし、おふたりともよく知っている人なので豹変した心の変化の原因が想像できない。一人は心の支えを亡くして「鬱」になったし、もう一人は「躁」になった。そしてそれは60代に入った同世代の男である。

連れ合いを亡くすとどう変わるかは興味深い。大体「鬱」になるのは想像しやすいが「躁」は掴めない。女性の場合は「亭主がいなくなると元気になる」そうだから同様な開放感が会ったのかもしれないと思って納得している。私の周りには、亭主を亡くして元気になっている女性が多い。コーポラティブ住宅の管理人をしている関係で、こうした元気女性が人生を謳歌している。同様な境遇の女同士が仲良く出かけるシーンに度々遭遇する。亭主だと昔の女性は上下関係やなんやらで対等に楽しめないのかもしれない。それが女同士だと確かに元気だしウキウキしている。

50代の男性から「妻が出て行った」という話を最近聞いた。彼はそもそも外交的で何でも顔を出す外交的な人として知れ渡っていたが、「他人夫婦のようだ」と捨て台詞で家を出たという。その彼はそれから益々外交的で近所の飲み屋がリビングになったようだ。単身という暗いイメージはない。もともと単身生活を謳歌している人もいる。「ポルシェのメガネが欲しくて・・・」と自慢のファッションで身を固める70代。「妻は亡くなったが畑仕事が好きになった」70代。40代後半で単身住まいのトレーダーもいる。

家族と一緒に住むシングルは別にして一人で住んでいるシングルを考えてみよう。私には連れ合いがいるのでここのところが想像しにくい。本当の意味でシングルの辛さ苦しさは味わっていないし、恐らく私のほうが先に行くのだと思うと、あまり想像力も働かない。ただ孤立して「鬱」になる高齢者がいるとすれば何かしら方法はないかと思ってしまう。「余計なお世話」と言われそうだが暮らしのうるおいが求められているような気がする。

私が出来ることと考えると、みんなで「食」を楽しむこと。もちろん飲み屋も良いのだが経済的に続くものではないし、みんなで共有するリビングがあればいい。男女を問わず集える場。食事を作って楽しめるリビング・ダイニングの共有の空間だ。「プライベート・リビング・ダイニング」という所。気心の知れた仲間が集まる場所が新しい家族の姿なのかもしれない。最初は盛り上がっても次第に元気がなくなるってケースもあるから最初から気張って造ることもないが、小さな赤ちょうちん的な場があれば憩えるのかなと思ったりしている。

2016年3月19日 (土)

ちょっと目先を変えて、「古式ゆかしき」。An ancient rite does something new, and "is slightly admirable".

宮島の社殿では厳かに結婚の儀が催されていた。数年前に訪ねた日光の東照宮でも白無垢の和装に身を纏った神前結婚式を垣間見たが、厳島神社でも同様に結婚式が行われていた。多くの観光客が遠方から様子を観ていて、まさに観光地として最高のショーが繰り広げられているのが印象的だった。社殿には雅楽が奏でられ、あたり一体は音楽に包まれて日本の伝統を改めて感じた。一時期の結婚式場での結婚というトレンドが伝統的な神社での結婚式に戻りつつあるのかと思うのだが、全てではないにしろ多様化が進んでいることは確かで、日本文化が改めて活用されていることが嬉しくも思った次第である。

私の体験でも神社での結婚式は、兄の結婚式が最後で、丸亀市の山北八幡宮で結婚式を終えて披露宴は市民会館に場所を変えて行ったように記憶している。もう50年程前の話だから時代は大きく違っていたので、当時の正統派がどのような結婚式を挙げていたかは定かではないが、時代は半世紀で戻ってくるのかもしれない。

An ancient rite does something new, and "is slightly admirable".

A ceremony of marriage was held solemnly at a main hall of the shrine in Miyajima. I peeped at a wedding before the altar which also fits a body on dressing in kimono of a white kimono at Tosho-gu in Nikko at which I visited several years ago, Itsukushima-jinja, like, a wedding was performed. Many tourists were seeing how things are from a distant place, and it was striking that the best show is developed as a tourist spot surely. Court music of Japan was played in a main hall of the shrine and the vicinity unity was wrapped in music, and Japanese tradition was felt once more. I think a trend as marriage at a wedding hall in a time is returning to a wedding at a traditional shrine, it's certain that diversification is developed even if it isn't everything, and it's also the order of which I thought that Japanese culture is utilized once more happily.

A wedding at a shrine remembers my experience as elder brother's wedding was the end and a wedding reception finished a wedding in Yamakita-hachiman-gu in Marugame-shi, and adjourned to a civic hall and went. Because it was talk before about other 50 years, the time was big and different, so it isn't certain what kind of wedding ceremony an orthodox school in those days held, but it may be the one by which the time returns in half a century. (エキサイト翻訳より)

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2013年2月11日 (月)

旅の話:なぜタワーの周りに鍵が集まるのか

ソウルタワーの廻りにも鍵鍵鍵だった。同じ様にプサンタワーの廻りにも鍵鍵鍵。まあ韓国流のパワースポットらしい。風水で言えば「穴」として龍脈の湧き出る所なので、ご利益があるという所だ。鍵に名前を書き、フェンスに取り付ける。鍵を相互で持ち合っていれば、どちらかが外すまで取れないという寸法だ。公園を管理している側もよく解っているので放任しているというより、それを煽っているように記念の撮影用の椅子まで用意している。「どうぞここに腰掛けてラブラブ写真を」というサービスは徹底している。タワーに登ると、そこにもタイル張りのラブラブパネルがあった。近くの売店にはラブラブタイルが置いていて、写真付きでもOKとラブラブを助長する。

ふと日本でもあっかなと考えてみるが、思い当たるフシがない。そこでウィキペディアで調べてみた。「愛の南京錠」がヒットして、そこには(以下引用)――愛の南京錠(Love padlocks)とは恋人たちが永遠の愛の象徴として南京錠をフェンスや門扉、橋などの公共設備にかける儀式であり、その対象となる場所は世界中で増え続けている――とある。パリでもローマでも歴史ある「愛の南京錠」が行われていたという解説。詳細が見えてくると一寸面白い。紹介されている写真は、まずはソウルタワーが1番で、2番めにセルビアのヴラニスカ・バニャにある「愛の橋」ことモスト・リュバヴィだ。そして日本のものも紹介されている。フェンスにかけられた無数の南京錠として湘南平のテレビ塔があり、――神戸のビーナスブリッジでは手すりに南京錠が付けられることを防ぐため、専用のモニュメント「愛の鍵モニュメント」を設置した――とある。

改めてプサンタワーの南京錠をみてみると、やはり施設側が積極的に売り物にしようとしているようにみえる。次第に脇にあるネットフェンスから正面の手すりに南京錠が移動していて、今後、管理者側がどうするのかが気になる所。ソウルタワーでは、南京錠を投げないような注意書きが書かれているようだが、ここではネットフェンスに限定するようにと御触れが出るのかもしれない。そうなるとみんな守るのかな?守らないだろうな???

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2013年2月 8日 (金)

プシケとロゴス:「恋」という心理状態

有島武郎1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)の小説に「惜しみなく愛は奪う」がある。青春期に必ずと行っていいほど「愛」と「恋」との表現の違いを巡って、逡巡する時にテーマとなる言葉である。有島は1923年、軽井沢の別荘で波多野秋子(1894年 - 1923年6月9日)と心中するのだが、有島46歳、波多野30歳?の死だった。結果としては不倫の最後という落ちではあるが、行き着く末の因果応報という感もある。

さて、問題は「恋」と「愛」だ。3人の子供を残して先立たれた妻を見送って、原稿に追われながら子育てもしなければという責任感の中でいた有島のもとに、半ば囲われ者として経済的に支えてくれていた波多野の妻としての秋子が婦人公論の編集者として有島宅を訪問した。子育てで忙しい有島に取っては家事を支えてくれる若い編集者に感謝とともに、妻を失った中では「恋心」に火がつくこともありなん。秋子にしてもパトロン的な波多野に囲われているだけではなく、子を持つ有島に「母性愛」をくすぐられることになる。解りやすい「恋愛」である。

ここまでを整理してみると「恋心」があり「母性愛」が登場して「恋愛」に発展していく課程が見えてくる。有島はクリスチャンである。顔相からして優しいタイプの性質で、秋子の夫である波多野は15歳も年下の若い身空の秋子を、若い時から教育費も掛けて経済的に支えてきたという実業家であるから、それなりに押しの強い人物であったろう。こうしたギャップの中で秋子も心が揺れて、その振幅に大人のはずの有島も動揺して最後の結論を招いたのだと思うが、結末は三文小説のようなので仕方ないとしても、「恋」と「愛」の区分を診るためには格好の題材だと思う。

ということで「恋」とは何か。「愛」とはなにかを整理してみる。まずは有島にとっての「恋」とは、普通の男性に見られる「好感」を持つものへの「親近感」から発する「性的な恋」、つまり男と女に備わった「動物的な引力」であり、その原因を作ったのが秋子の子供に対する「母性愛」では無かったかと想像する。一方、秋子は職業柄、有島の原稿を確保するためには、妻を失って困っている作家の生活を支えるために、まずは子育ての役割を多少支援していく中で「母性愛」を育んで行き、有島に対しても波多野に感じ得なかった「母性愛」を通して「恋心」に移行していったのではないかと想像する。

そこで結論だが、有島と秋子の間には相互に思いやる愛はあったが、周囲の3人の子どもや秋子の夫、そして社会に対する愛は無かった。二人の間にはきらめくような「愛」があると思い込んでいたが、それは実は「恋愛」であり、恋と愛がないまぜになった感情の昂ぶりだったといっていいだろう。本当の愛は与えるものであり、奪うものではないのであって、「惜しみなく『愛』は奪う」という題名は、言葉使いの間違い。本当は「惜しみなく『恋愛』は奪う」とすべきだったように思っている。若き頃にこの小説に出会って、恋と愛とそして生と死を考えさせられる時期があった。今思えば真剣でもあったが、まあ永遠の男女のテーマであろう。エエッ、今は同性間でも・・・。

2012年11月25日 (日)

プシケとロゴス: 40年前の興味、それは『心理学』

『心が砕けそうになる』『心が重い』『ズンという悩ましさが包む』『心が張り裂けそうだ』『心爽やか気分』『空をとぶような気持ち』など心持ちを表現する言葉は多様だ。実のところ、こうした表現のような感情が湧き上がるから不思議だ。悩みが全身を覆うように気分が沈んで心にドンと重く伸し掛る感じがする体験は何度か遭遇した。だからどん底から脱却するのには時間がかかることが理解ったし、いつの日かそれが解決する為の修練であることも自虐的に悟った経験もある。だから悩みは肥やしだという気持ちも生まれたので、そう大して怖くはなくなっているが、でも重いものではある。

悩みを抜け出すのは「時間」である。基本的には時間が解決してくれるのだが、その間には一所懸命、脳が働いてくれているのだという認識が欲しい。「悩みとは自己の経験では解決できないものの原理を解く行為」だから、少しの間、脳の中で順列組み合わせを整理して、解りやすくパズルを解く必要がある。それは難題を解決することも、恋愛感情の高まりを解きほぐすことにも通ずるものである。

という風に、理解ったように言っている自分があるのだが、ある程度、心の動揺に対しての整理する自信が付いてきたのは40年前の「心理学」への傾注から始まったように思う。心の中を見定める方法として臨床心理学や精神分析学などの手法を駆使することに、体験的に核心が持てた時期があった。

青年期、それは心の自由な動きに悩まされる時期。異性に恋すれば心は重くなり、心臓が停まりそうなきつい思いを感じる。あの頃は心臓と脳とが一体にも感じるものだから、「心(こころ)」イコール「心臓」というイメージも正統性を持って受け止められていたと認識している。ハートが痛むのは心臓が悩みや感情を司っているのだと思い安い状況があった。多分、中世の人々は脳で感情をコントロールして、その影響で心臓の高まりや血流の変化が生じていることは理解できないでいたに違いない。だから悩みが生じたら、教会の懺悔室に入り、神父に自らの罪を吐露することで心の安寧を得るという手段を採ったのだと思う。

今では、余程の信者でも無い限り、俗物としての神父に自らの罪を告げるなんてことはしないだろうし、ましてや恋愛相談など馬鹿らしくて出来ないとも思うのだが、中世の教会では当たり前のように行われていたのだと思うと恐ろしい。とは思うものの、今時の街角の占い師は流行っている。とりわけ女性には恋占いは人気がある。日本にも古来から「八卦見」はいたわけだし、祈祷師などの存在は、精神的な悩みを排除する儀式だったのだから、何とも奇妙な時代を経てきたと思うのだが・・・。

考えてみれば、科学の時代のはずの現代でも、祈祷師はいるし信心深いキリスト教徒もいるのだと思うと、心の問題は古くて新しい問題かもしれない。正月の初詣には賽銭飛ばして神社に詣でるし、おみくじ引いて運勢を見ようとも思う、どことなく信神を体現している自分もあるのだが、あれは『懺悔』では無いよなぁ~。

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