2016年11月 3日 (木)

ちょっと息抜き:五郎の石の家

「北の国から'02遺言」で使われる石造りの家だが、多くの人が懐かしさを覚えるドラマで故いのに記憶に新しく感じる物語だった。丁度、団塊ジュニア世代に通じるものがあって、私の子供達も見逃さずに視ていた記憶がある。実はわたしはあまり興味がなく、ことさら感情を揺さぶるので面倒くさいという感想で傍観していたように思う。

私にとって主人公の田中邦衛は加山雄三の若大将シリーズでおとぼけ役に徹していた印象が強くて、少しセンチメンタルなドラマではなんとも解せない印象がある。芸幅に広がりがあるとは思うが、その世界に引き込まれない実感に距離を覚えた記憶がある。

ただ、北海道に行ったときに行きがかり上、運転手として付き合ったのだが、建物の作りは意外と面白く、生活感の溢れた作りになっていて心が寄せられる仕掛けが備えられている。撮影用のセットで造られたこともあるので細部に居住に適さないディテールは視られるもののそこでの住まい方の実感を伝えるには十分だったように思う。いまでは観光地として人里離れた所に保存されていて多くの訪問客があるのだということがわかる。テレビの力は大きい。

改めて「五郎の家」を写真で観てみると、建物としてのバランスもいい。小さな山小屋風の庵で揚水の風車が孤立した立地をほのかに説明する。石積みの雰囲気は手作り感があり、窓なども含めて寄せ集めで素朴である。でも冬の寒さは尋常ではないし、この建物ではとても冬の寒さを防ぐのは無理のように感じてしまうのだが、「観光用」なんだと改めて納得した。

建築の設計などを職業としていると、手作りの小屋には魅力を感じる。だから私も山梨に6畳の小屋を建ててみた。高床式でブロックで1メートルほど組み上げ土台を回して平屋を建ててみた。4面はすべてガラス張りで、周辺からも観られるし中からは周辺の林が見放題。もう3年も行っていないのでどうなっているか心配はしているが、観光客も来ない小屋なので管理も行き届かない。そう思うと「五郎の小屋」は恵まれた小屋だという捉え方も出来る。

あぁ~ッ。6畳の小屋はもう倒れているかもしれないと思うと、尋ねることさえ躊躇してしまうのは一寸無責任かなと反省している。周囲に迷惑を掛けていなければいいのだが、、、。

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2016年10月27日 (木)

50年後の多摩ニュータウン : いつごろから「和太鼓」が流行り始めたのか

戦後、日本がアメリカ化し始めて何でもかんでもアメリカナイズしていった時期。それはテレビとともに普及していったと記憶している。テレビ番組はアメリカの番組が輸入されて、茶の間に普及した。団塊世代の私が知っているのは「名犬ラッシー」や「カートライト兄弟」「ルート66」「ライフルマン」「0011ナポレオン・ソロ」「逃亡者」「コンバット」「刑事コロンボ」「奥様は魔女」など枚挙にいとまがない。

その後、そんなアメリカドラマに影響された日本のドラマが登場する。「事件記者」「快傑ハリマオ」「魔法使いサリー」「コメットさん」などが続々と現れてドラマが日本化されていく。こうなると日本が日本らしくあるためのNHKの朝ドラが始まり、昭和41年の「おはなはん」なんてのは田舎住まいの私にも記憶に残っているし、樫山文枝という女優を覚えたのも初めてのこと。ちなみに多摩ニュータウンの街開きが昭和46年3月なので、その時のドラマは「虹」、仲谷昇と南田洋子の主演だそうで、テレビもない生活を送っていたので何とも言えないが基本的にはアメリカ化から日本化に変身していた過程ではないかと考えている。

そして話を表題に戻すと、多摩ニュータウンに「和太鼓」が登場する話だが、まずは1966年(昭和41年)プロの和太鼓集団が大阪で生まれたのがルーツだとされているようだ。東京でも相次いで組織化され各派が競い合う形で地方に分散して発生している。多摩ニュータウンは4市に跨っているので、ホームページを当たると「多摩太鼓愛好会」「和太鼓集団鼓麟」「和太鼓雅武者」「和太鼓の会鼓遊」などが見られるが、極めつけは2016年9月25日 に多摩センターのパルテノン多摩で行われた「多摩太鼓祭り」で多摩地区の和太鼓団体 12団体 揃い組で和太鼓の演奏をしたというのはまさに現代の多摩ニュータウンでの和の文化が花開いている感がある

写真は南大沢駅に隣接したアウトレットモールのメインロードでの演奏。チームの名は覚えていないが勇壮な面構えで聴衆をひきつけている演技はすでにプロの域に達している。周囲の街並みはイタリアを思わせる風景だが、それに太鼓がよく似合う。時にはピアノやバイオリンの演奏もあるのだが、太鼓の響きも周囲の景観とマッチするという日本的風景である。

太鼓のチームは1966年からのようだから、それから5年後の1971年(昭和46年)、多摩ニュータウンの街開きには当初から太鼓の音が轟いていたように思えるのだがいかがだろう。

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2016年4月 6日 (水)

50年後の日本「韓国と日本」

2013年1月の釜山を最後に韓国には行っていない。それまで2001年3月、2004年2月、2008年6月とソウルに行っているので、サイクルからするとそろそろかなとも思う。まあしかし、韓国と日本の関係も北朝鮮や中国との関係も目まぐるしく変わってきたし、明日は友人、明日は敵という報道だけを視ていると何が何だか解らないような気分になる。つまり国際関係が安定していないというところだ。2004年に日本で放送された「冬のソナタ」は韓流ドラマの走りで、大ブームを起こした。

「韓流ドラマ」に見入ってしまった時代が懐かしく思えるほど冷え込んだ日韓関係だが、何とか修復しようにも国民感情が偏ったままだと元に戻らない。国民感情を代弁しているというか、煽っているのが報道だから報道から変わっていかなければ互いに気持ちが収まらない。とはいえ昨年の訪日観光客累計だと、堂々の二位は韓国である。中国の500万人に次ぐ400万人というから韓国の人口5千万人の8%が日本に来ている計算になる。「うっそ~」って叫びそうになるくらいの数である。昨年からの伸び率も45%を超えておりなぜかが私にもわからない。

中国からの観光客の伸びは107%で、なんとなく理由はわかるが韓国は解せない。「だってあれだけ嫌いな国なんだから」と思うのは当然。それにウォン安で苦しくでいるとも聴くと尚更。確かに昨年4月に京都嵐山を訪ねた折に嵯峨野を闊歩する和服姿の韓国の若者に良く合った。「韓流ブーム」ならぬ「日流ブーム」が韓国では起こっているのかなと思ってみるがその真相は見えない。

考えてみれば来ているのは若い世代だ。となれば戦後の関係の良い時代に育った子どもたちかもしれない。2001年にソウルに行った時に、焼肉店で若い女の子が話しかけてきた。「日本語を勉強している」という。其の子が15年後にはいい大人になっている。それが今の日本観光ブームを作っているのかもしれない。

時代は移るのだと思う。「歳々年々花相似たり、年年歳歳人同じからず」唐代の詩人、劉希夷の詩だそうです。人は変わるのだという確信に似た言葉で高校生の時に読んだ小説で知った言葉だ。50年後の韓国民の心根や日本国民の受け入れなど、人の心は千変万化。人間、相手が判るほどに次第に心は打ち解けるもの。この情報社会である。隣の人の情報を知らないと嘯いてもいられない。きっと親しい関係になっているという確信が持てるのだ。

日本でも団塊世代は「戦争を知らない世代」と嘯いてきた。心の中には「戦争を知りたくない」とも表現しているようで、経済発展にかこつけて目隠ししてきたようにも思う。今、熟年の晴耕雨読の楽しみで歴史本が本屋を飾る。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は人気だし、半藤一利の「昭和史」も売れている。ようやく団塊世代も足元を見ようという気持ちになっている。そして50年後の世代はすでに戦後世代を超えて、未来世代に入っているのである。

2012年11月21日 (水)

多摩ニュータウン:多摩ニュータウン4市の労働者の状況

多摩ニュータウン4市の間では労働関係の状況はそんなに変わらないだろうと思っていたのだが、どうも数値的には微妙に変わっていることがわかった。失業率こそ2.5%前後で殆ど変わらないのだが、就労者数の割合には多少の変化が見られる。つまり、ベッドタウンの様相が高い多摩市が人口総数に占める就労者数が他より2ポイントほど高いというわずかな差があることだ。大した差ではないので目くじら立てるほどではないのだが、自治体の状況はその都市の形体により、様々な指標に特徴が見えることに気付く。

人間にとって、働いていることは在る種の生きがいで、それが失われると恐らく喪失感で自己をコントロールできなくなると思う。とりわけ私などはバブル景気が終わって仕事が減っていった時。何とも言えず自己否定のような無力感に襲われたものだ。その気持が忘れられないだけに、働いていることにより前向きな気持にさせられる。だから多摩市の人々は楽しより前向きなのかとも思ってしまう。

ここで少し見方を変えると、失業率が同じで就労者率に変化があることは、いうなれば働かなくても生活が出来る率が多摩市は低くて町田市は多いという事にもなる。働かなくてもいい人とは、それは一般的には高齢者あるいは子供ということになろう。いわゆる従属人口である。つまり労働状況と高齢化率は反比例するという結果になるのではないかと気付く。はたしてそうなのかと、調べるとどうも関係がないことが判る。ならば何がその差を付けているのだろうと。

結論はにわかに出ないのだが、原因は何処かに潜んでいるので、必ず一つの現象には原因となる必然的な意味があるはずだ。しかし、今のところどうも原因はわからないというのが結論。例えば農家の高齢者は働いている。サラリーマンの退職者が多い多摩市では年金受給者が多いと思えるので、高齢者は働かないのだろうか。最も高齢化率の高い町田市で就労者数の割合が低いのは高齢者の年金受給者が多いせいだろうかとか、色々と思案してみるがどうも結論が出ない。

私だけでは読み取れないので、ここまで読んでこられた読者の方に以下のグラフを提供します。なぜ、こんな差が出てるのか、特徴を解析していただければ幸いである。あ~ぁ、、、疲れた。

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