2017年9月22日 (金)

『男と女』生涯未婚率のターニングポイントが経済事情だとすれば未来はどうなる

平成27年版厚生労働白書に掲載された生涯未婚率の推移には2035年までの将来推計も含まれています。そこには将来を見通した未婚率の変化が予測されていて、その原因が想定されているようです。大きなターニングポイントは昭和60(1985)年の生涯未婚率が男性優位に交代した時が最初。男女とも4%付近でまだまだ婚姻率が高かった時代です。それから男性の未婚率が鰻登りで2020年には推定値で26.6歳にまで伸びていきます。その後10年はやや安定しますが2035年に首をもたげて29.0歳に達します。

また昭和55年に始まる女性の生涯未婚率の安定化は、昭和48(1973)年(第1次)と昭和54(1979)年(第2次)に 始まり昭和55(1980)年にピークを迎えるオイルショックで景気後退が日本を襲ったことを機会に、女性の場合には安全パイを結婚に求めたことがグラフからも明らかになっているのです。でもその反動なのか男性の未婚率が増加し始めます。生涯未婚率とは、50歳時点で1度も結婚をしたことのない人の割合を言うので、それが増加し続けているということは若い世代が結婚しないということになります。初婚年齢の上昇も又、生涯未婚率を上昇させます。

生涯未婚率について女性についても男性ほどではないですが上昇します。同じように2020年推計では17.8%となり2035年には19.2%に達します。2030年の到達予測の原因については多くのニュースソースがありますので、この背景などが伝わってきます。基本は男性の婚姻に対する減退にあるようで「草食男子」「絶食男子」などと評価されて、若者の結婚願望が減退していることが主要因だという結論のようです。特に初婚年齢の上昇は男性の収入如何であるかのような説明がされています。「お金がなければ結婚できない」という理由が主だった結婚しない説明になっています。

こうした意見には女性側の原因という説明はありません。しかし、根源は女性側の意見が反映しているのではないかという気もします。女性としては「結婚」は「出産」であり「子育て」であり「教育」であり「立派な大人」に成長させることです。もちろん男性も子供の成長を考えないわけではありませんが、「子育ては金」と言う時代を生きてきて、「教育レベルも金次第」という意識を植え付けられている以上、「金のある男」を選びます。こうなると選択肢は少なくなり、年収の上がらない非正規雇用などは候補から外れて、そもそも男性側も諦め気分で「絶食男子」に変身していくのかもしれません。なんだか雌雄が共存するアブラムシや魚のような気がしてきました。いやな渡世ですね。

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2017年5月30日 (火)

『国立社会保障・人口問題研究所』ひとり親と子供となる世帯の推移:男と女の立場を考える

「離婚が少ない」「婚外子が少ない」という日本や香港のデータを観て、なんとなく「儒教社会」をイメージしてしまうのですが、日本での「一夫一婦制」は明治31年の民法改正によって制定されたので、それまでは「一夫多妻」が認められていました。「二号さん」という呼び方も財産分与の順位を表す整理番号のようで、決して「儒教の国だから云々」という説明は当たらないように思います。どちらかと言うと「家父長制度」が浸透している社会で、財産分与などのルール付を近代化というか西洋化に向けて進めている中で「夫婦」のあり方が整理され、その子の立場も明確になる中で「一夫一婦制」が浸透してきたのではないかと思うのです。

一方で戦後の「民主主義」が台頭してきたのと女性も社会進出することが現実的になり選挙も含めて「男女平等」という概念が台頭してきて、さらに最近では子供を作ることに関しては「女性優位」が言われるようになってきました。「誰の子か判るのは女性だけ」だとか「産む産まないの判断は女性だけ」と子供を作ることに関しては男性は権利を持たない時代に入ってきています。従って子育ても女性優位で男性は扶養費用を提供する立場になってしまいます。時々、産み落としたままで育てない母親もいますが、大概は女性が育てるのが通例になっています。

こうした傾向は徐々にですが進んでいくと思われます。シングルマザーは社会現象としてのみならず、こうした人達が集まり企業活動を展開したり、子育てしやすい職場を創出するなど、環境改善を積極的に進める傾向も見えています。特にテレワークで仕事が出来る時代にあって、女性の労働環境は大きく変わっています。多摩ニュータウンでも女性だけで起業する動きは20年近く前から始まっていますし、そこそこの企業として地位を築いている人の顔も浮かんできます。結婚していても子育て中の母親はドンとしていますし、どっしりと子育てしつつ社会を支えているという自信がみなぎっているようにも思えます。

そんな中、男女の子育てに関する格差は広がっていて結婚しない男性が増え、子を持たない男性が増えている現実を改めて思うと、男性の未来が気がかりです。支える者がいない男性単身者。今後の大きな社会問題にもなってきそうな気配です。従来のように会社が社員の生活を生涯支える雰囲気もないし、完璧に見捨てられてしまって、年金も十分でない男性は生活のために死ぬまで働く消耗品として社会にあふれるのではないかと気に病んでもいます。せめて中国のように「木陰で麻雀する老人」程度にはなりたいものです。

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2017年2月 6日 (月)

社会が変わっているという実感を考えてみる『40年を過ぎた分譲団地、若い世代の結婚感』

「できちゃった結婚」という言葉がありますが、言い換えると「できちゃったから結婚する」ので婚外子にはならないのが日本的な道徳精神なのかと理解できます。ここで余談ですが「婚外子(こんがいし)」というネーミングはどうもいただけませんね。ゴロも悪いし罪悪感が隠れています。「結婚」が正しくて結婚ではない「外子(そとこ)」、内(うち)ではない外(そと)の子なんだという家族規範に外れた子供だという差別意識がにじみ出ている言葉です。何かいい名称、ありませんかね。「自子(みずからこ)」「我子(わこ)」なんて女性が自立するためにも必要になってくる名称ではないかと思うのです。

まあ、そんな疑問も出てくる日本の子づくりに対する対応ですが、少なくとも限られた女性が生涯に生むことができる子供の数はどうなっているのでしょう。各国比較を観てみると、意外に少なくは無いことに気付かされます。人口学的に安定した再生産をするには合計特殊出生率を2.08まで高めなければなりません。現状の1.45を高める方法は、基本的には「子育て支援」という言葉に置き換えられますが、現在、東京都でも始まっている「待機児童ゼロ」や「私立高校の無償化」など、子育てに関する費用を低減することで世帯の貧富で学習チャンスを失うことを避けたいという思いがあります。それほど遠くない時期には実現する施策だと思っていますし、大学や大学院など広く就学のチャンスを与えるべきだと思っいます。

昨年暮れにポートランドに行きました。私立大学の構内を散策中に保育園を見つけました。大学内に子供を預かる施設が同居しています。学生寮も家族用のものがありますし、休日でも大学内にあるレストランは家族も含めて賑やかです。子育てしながら勉強もできる環境が揃っています。社会が成長していくと生涯学習の必要性は増してきます。単に趣味を楽しむだけではなく自己研鑽の専門性を身に着けて社会に再チャレンジすることも大切です。その為には学習に対する社会環境に投資を重ねてもらいたいものです。

こうした多角的な社会改革が積み重なって子供の数は増えていきます。そうなれば一人で子供を育てることにも違和感がなくなり、新たなパートナーとの関係も無理なく受け止められるのではないかと思うのです。「結婚」という社会への宣言は「パートナーシップ」を約束する契であり、「子育て」のための「できちゃった結婚」ではないと思うのですがいかがでしょう。「できちゃった結婚」だとすれば、責任の所在が明らかになった段階で「離婚」することになるのは必定です。「できちゃった結婚」するくらいなら「子育てパートナー宣言」でもして、互いに役割分担して子供が自覚して生きられるようになるまで育てる関係を続けていけばいいように思うのです。なにも戸籍に係る「結婚」をしなくてもいいように思うのですがいかがでしょう。

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2016年11月21日 (月)

50年後の多摩ニュータウン : 「少子化で子供がいなくなったなんてのは嘘」

世間で判を押したように揶揄される多摩ニュータウンである。なんだかヘイトにも思える思い込みや誤解が常識であるように吹聴される。「少子化で子供がいなくなった」「高齢化と老朽化が押し寄せる」などと簡単に言い告げられてあたかも真実の如き噂が流れる。確かに40年も経つ団地には子供が少なくなった。しかし新築には若い世代が集中するし、保育園を併設しないとマンションも売れない時代。共働きの過程だから、比較的駅近のマンションや団地には子供の声は途絶えていないし溢れている。

嘗ての専業主婦の居た時代ではない。共働きだし子供は学童保育園や塾、スクールに行っている。遊びは外遊びではなくテレビゲームで家に篭っている。たとえ野球やサッカーをしていても管理されていて、広場で自主的な三角ベースなどはない。すべて大人が管理したグラウンドでクラブ活動をやっている。日曜日などは親がかりで整備されたグラウンドやサッカー場は弁当持った親子でごった返している。

今の若い世代は嘗ての子沢山の時代でもなく、一人っ子の家庭も多い。経済的な子育てが大変だから出生率は減っているし子供の数も減った。さらに出産を受け持つ女性の数が減り続けているのだから相対的に子供の数も減る。ただし、それは多摩ニュータウンのみの問題ではなく全国一律の問題なのだということを認識したい。

子育て世帯は殆どが共働きなので、みんなが駅近の保育園に入園させるので「子供の声は保育園」にあふれている。私の事務所は保育園の隣りにあるので、いつも朝の保育園送りは賑やかだ。通勤の途中で子供を送り届け、しごとに赴く。ときには祖父や祖母が送り届けている姿も見受ける。日常的にこうした、子供を預けてすぐに通勤するというスタイルが日常的に行われているのである。

同じ保育園でも駅から離れた団地周辺では子供の数が減っているので閉鎖するという保育園もある。一方で駅前には新規に保育園が整備されているという現実なのである。多摩市では保育園の受け入れは、数としては間に合っているが、ニーズが集中する区域が偏っているのである。多摩ニュータウン開発初期に供給した保育園はその役割を終えている。

今、駅前で子供を預けて、昼間は空きの多い保育園で保育して、子供の受け取りは住宅地の中の保育園に迎えに行くというスタイルも検討されている一部自治体では行われているらしい。子供のデリバリーが時代にあったシステムなのかもしれないが、アメリカのように保育は過程でナニー(保育請負人)に頼むってのもありかもしれない。

2016年8月29日 (月)

50年後の日本「子供の貧困というリスク」

全体に子供の数が減っていく中で「貧困率」は上がっているが「貧困数」はそれほど変わっていない状況だと認識している。「要保護児童生徒援助費補助金及び特別支援教育就学奨励費補助金交付要綱」が昭和62年に制定されてから平成6年まで毎年のように改正され平成11年まで改正無く続いた後、またまた毎年、あるいは隔年で改正が続いている。改正の内容については使い勝手のいい要綱にするための改正だと思われるので、次第に就学援助の数が伸びていくのも理解できる。

日本の場合、少子化に対する国の対応は基本的に育児や教育に関する支援となり、生活保護ではないので貧困家庭になると給食費の確保もままにならないなど、十分な食生活が家庭で確保できない世帯も顕在化している。長年の不況に拠る就職難などで収入を確保できない世帯も増えた中で、就学援助の件数も増加を続けている。就労の確保については人口減少社会の中では働ける人材不足が発生することと、国内産業の拡大に拠る就労機会の増加により現在では失業率も一時の5%レベルから3%レベルまで下がっているので、総じて緩和されていると観ることが出来る。

とはいえ、日本にも所得格差の先鋭化が進んでいてそれに伴い「子供の貧困」がクローズアップされてきた。「子育ては親の責任」の時代は終わっている。「子育ては社会の責任」という時代に入っているという認識を持たなければならない。人口減少社会において子供は財産であり、そのためにも子育て世帯に負担を押し付けてはならない。「子宝(こだから)」という言葉は過去から変わらない。一時的な産児制限が日本の人口構成をいびつにしたことを改めて反省し、子育てが社会の義務として認識することで安心して子育てできる環境を生み出したい。

こうした社会に適応する施策として「子ども手当」がある。『15歳以下の子供を扶養する保護者等に対し手当(金銭)を支給する制度で、2010年(平成22年)4月1日から実施され、2012年(平成24年)4月1日をもって児童手当の名称に戻された。ウィキペディア』生活を支える費用として国や地方が直接支援する精度はさらに充実する必要があるが、子供が成長して大学に進んだ時にもアルバイトはしたとしても学費が無料になるなど、基本的な教育費に対する支援をしさらにいつでも進学が出来る仕組みがあれば、必要に応じて就労したり就学したり出来る。入学も学力試験での合否ではなく、「やる気の評価」で入学させて、必要な単位をとったらは卒業できるという実力主義を採用するのも方法である。

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2016年8月26日 (金)

50年後の日本「生活保護というリスク」

「高齢者の生活保護率が最高」になったとの報道に印象としてどんどん高齢者の生活保護者が増えていき、年金基金が不足するという不安が過ぎった。そこで生活保護世帯の伸びについて調べて観たのだが、生活保護受給者の伸びそのものは停滞して、総数の伸びがなくなった状況が続いていることが解った。これについては最近の人材不足などが奏功して、勤労者の環境整備は整って来て一般の生活保護受給者は減り、高齢化に拠る年金不足世帯の増加とともに高齢者の受給率が顕在化したという状況に見える。

確かに高齢者の受給者は増えていると思われるが総額として税負担を押し上げていない状況であり、生活保護施策全体の帳尻はあっているようにも見受けられる。このまま生活保護受給者数の推移が安定するとすれば保護費の目算も容易である。特に高齢者の場合は年金差額の支給になり、国民年金があれば補填するにも生活費全部ではなくなる。また、年齢層からすると現状の高齢者は無年金世帯は少ないと思われるので、今後、どんどん生活保護額が増加するとも考えにくい。今のうちに生活保護の仕組みを高齢者のみならず、若い世代への支援金などと統合した生活支援資金として確立することが望まれる。

先進国、日本の中でも子育ての貧困として「欠食児童」や「育児放棄」などの問題が浮き彫りになるにつけ、子育ても国家的な施策として、あるいは地域の支援による生活支援をすすめる必要がある。子育てはいわゆる「集団育児」「集団教育」の時代になっている。当然、教育費や就労前の研修費などの費用や生活費など総合的な保護が課題になる。すでにデンマークなどでは15歳までの子供に対して生活保護費が支給されており、子育てに対する費用負担を公的に実施する制度改革が望まれる。

少子化に対する施策として基本的に子育て負担は国が責任を負うという原理原則を定め、それについて国の役割と地方の役割を明確にして推進することで50年後の日本を想定することが出来るはずである。何も施策なしでは人口減少は止まらない。今後の危機は就労期の若者の減少であり、働く世代が極端に減少しないように少子化の抑制を図ることが未来の安心を造る方法だと思う。だからこそ、今ある資産を若い世代の教育に費やし、後世の世代構成をバランスの取れたものにすることが必要なのだ。それにより「生活保護というリスク」の呪縛から開放されることになる。

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http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_general-seikatsuhogo

2016年6月 2日 (木)

50年後の日本「子育てと家族」

子育てにはお金がかかるから「一人っ子だ」という判断は50年後の日本にはない。少子化が続く日本には子供が必要で、合計特殊出生率も分岐点である2.08に近づけたいのが日本国の方針であるのは変わらない。北欧諸国やフランスなどでは頑張って2.00を超えるまでになっているので、日本も出来ない話ではないと思うのだが、基本は少子化に対する政策にほかならない。

50年後の日本の人口は8500万人に減少することになっていて、今から観れば2/3になることが解っている。多少、出生率が上がっても減る力が大きいので全体としてはそれほど変化ないのだが、産む数が1人増えて2人死ぬのと1.5人生まれて2人死ぬのでは未来の人口構成は大きく変化するので、子供を生むのは日本の元気を保つのには体制なこと。それも頭のいい子どもたちを育てることで、社会の効率化を促進して豊かな日本を構築することになる。

昨日、NHKの「家族に乾杯」を視ていたら、北海道の農家に都会から夫婦で農業就労をするために移住しているという家族が紹介され、隣接する高齢者の農家夫婦から農業を教わっているという。教える方の実の子供は農業を継がないで就業しており、都会からの若い夫婦が「跡取り」だという。つまり農業の世界では実子よりは継承する他人が新しい家族というかたちになっているのだと思った。「日本のものづくり」という言われ方をするが、何も工場だけではなく農業の世界にもものづくりの伝統を継承する動きが芽生えているのだと「日本も捨てたものではない」と感動した。すっかり赤の他人が親戚付き合いになっているようで、これからの日本の姿を見た思いがある。

人口の3分の1が減っていくということは、3分の1の資産が国民に配分されるということでもある。家あまりだと困っているのだが、実は細分化された農地が1.5倍に増えることでもあり、効率のいい生産を高めれば1.5倍豊かになれるということにもなる。そして食料自給率を考えても生産量が国民の需要に対して5割増しの状況だから、海外からの調達もそれだけ減らすことが出来る。50年後の食料安全保障の議論は高まっていると思うので、その効果は大きいはず。

人口減少や少子化、空き家増などのマイナスイメージはニュースソースにはなりやすいが、マイナスイメージではなくプラスイメージで捉えることが今、必要なのではないかと思うのだ。

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2016年3月25日 (金)

50年後の日本「家族関係」

未来の「家族関係」というと、私の記憶では浅野素女さんの「フランス家族事情」1995年初版が記憶に新しい。1995年の本だから、今から20年ほど前のフランスを著したものだが、今もまだ日本社会はフランスほど福祉は充実していないという認識だ。著者は単身で子育てする中でフランスの福祉を体感したという。私がその本を手にした時は2000年版で8刷だったが、岩波新書としてはベストセラーだったと思う。日本の家族事情がバブル崩壊で共働きが増えたり、経済的な理由で崩壊する家庭も多かったように思う。家族関係も次第に変化していた時代で、シングルマザーという言葉も飛び交うようになっていた。そんな所にフランスの価値観が入ってきた。

私にとっては新鮮に写った。本の最後に「21世紀の家族」という項がある。その最後に『家族は「形」より「質」の時代に入った。愛情や絆という目に見えないものに、いかに形を与えるか。問は振り出しに戻りつつ、新たな広がりを示している。』と結んでいる。そこには法律に依る結びつきではない実態としての家族像が赤裸々に語られていて、未来の家族事情を示唆される。著者は言う。基本はシングルであり、離婚は子にとって不幸だが、親が不幸であるほうがよほど不幸なんだと説明する。

日本はこうしたシングルマザーをどのようにサポートできるのかがこれからの人口減少社会に対する対策として課題になるはず。1人でも子供がほしいのが日本社会ならば、家族関係も大きく幅を持たせていい。家父長制が日本の伝統家族を支えていた時代、後継者がいないと家は没落するので婿養子をとったり兄妹などから養子縁組をしたものだ。今は相続関係の法律が充実して実子がなくても法律が処理してくれるし、そもそも「家督」という考え方もなくなってきた。

日本人の家族のあり方は江戸時代の価値観がベースに成って、明治の帝国憲法で位置づけられ価値付けられたものが底辺にある。その後の戦後の新憲法が家族をアメリカ型に変えてきた。今、アメリカはステップファミリー華やかな時代である。まさに「フランス家族事情」が現実的な生活に馴染んでいる社会だ。それを横目で見て、日本の家族事情が変化しないわけはない。少子化が進む現状を思うと、これからの家族像はこれまでとは違うのだと確信している。

2016年3月14日 (月)

50年後の日本「アジアでの日本の役割」

中国では2030年をピークに人口が下がり始めて、高齢化も拍車がかかり始めるし、インドも2060年頃から下降線にはいる。その他の国々も近代都市化と反比例して人口減少がすすみ、少子化とともに長寿命化が高齢社会の到来を迎えることになる。基本的に同じ構図になる。特に中国の場合には長年の一人っ子政策が起因して高齢化の問題は危機的な状況に突入する。

その時日本はアジアの範となりうるだろう。いま日本は欧米の高齢化対策に習っている。私もオランダやドイツ、オーストリアの高齢者住宅を訪ねたことがある。今後、予想される高齢社会を迎えるに際して何が必要なのかを求めての視察だった。その結果を様々な方法で日本でも試みられているし、身近な高齢者施設が広まっていった。多摩ニュータウンにも高齢者施設が様々な規模で、様々なメニューで、多様な団体により供給または運営されている。

日本では介護士を含めて介護従事者の不足が社会問題となっている。報酬の低さが若者に敬遠されているという状況も去る事ながら、未だに社会的な位置づけが確立されていないようにも思う。振り返って日本の子育て環境を視ると、保育に対する立ち位置が教育のほうが優先されていた時代があった。保育園と幼稚園では幼稚園が格上などと思われていた時代がある。保育園は母親が働かなければ暮らせない貧しい家庭への福祉事業だという位置づけである。ところがいまは女性が社会に出る時代だし、それをなくては社会が保てない時代になっている。幼稚園は撤退するが保育園は増設する時代である。たまらなく「幼保一体」政策が摂られるようになる。時代は変わった。

同様に介護についても同様だ。医療と介護を比較すると医療が高く見積もられる。実は「自力で長生き」が介護の目標だとすれば医療より経済的だし人生を有意義に生きるためには欠かせないサポートである。そこに焦点を当てた施策の投入が急務である。介護施設を公的な資金で建設しても介護人材不足で予定収容人員を受け入れられない施設が続出しているという。建物というハードを作っても人材というソフトが追いついていけない状況が生じることをいまは是正することに日本はいま直面している。

50年後の日本では施設整備は終わっていて、そこに入居する高齢者が減少するという供給過多の状況に入っている。その時に、ハードもソフトも備わっている介護施設にアジアの高齢者を受け入れることもビジネスとして成り立つのだということを考え合わせれば、いま不足している施設をどんどん整備して、介護人材を広く海外にまで求めていくことは時代に即した方法であろうと思うのだ。

2016年2月 8日 (月)

多摩ニュータウン50年後の「出産と育児」

総務省統計局の50年後の日本の人口構成を2065年の予測で視ると、14歳までの年少人口が9.0%、15~64歳の生産年齢人口が50.4%、65歳以上の老年人口が40.4%と推計されている。総人口は8,135万人で、私の生まれた1949年ころの人口規模である。手元にある1950年のデータでは14歳までの年少人口が35.4%、15~64歳の生産年齢人口が59.6%、65歳以上の老年人口が4.9%となっており、おおまかに言うと年少人口と老年人口が逆転したような状況です。

戦後すぐの1949年生まれまでは戦中の「産めよ増やせよ」の機運が残っているので社会において出産は戦後の女の仕事としてみんなして望んだわけです。私も含めて団塊世代が構築されて一大社会勢力として影響を与えていくのですが、50年後、その子どもたちである団塊ジュニア世代もいなくなるのですが高齢者の数は増えている。これは基本的に長寿が作った人口ピラミットで、戦後すぐの状況とは大きく異ることを理解しなければならない

戦後当時の平均寿命は男性も女性も50歳代前半だったので65歳以上の老年人口は少なくなるはず。今では男女とも80歳を超えていて、65歳になっても働ける年齢だということを考えれば、生産年齢人口に65歳から74歳までを加えれば老年人口は減ってくる。また、年少人口についても中卒で就職する人も殆どいなくなったので、17歳までを年少人口に参入すべきだという議論もある。ただ、実態として高校生のアルバイト就労も多くなり、必ずしも生産年齢人口に加えないという判断も難しい。こうした年齢に対する社会性も時代により大きく変化したという認識は共有できる。

さて、子供の話である。女子の体力や医学などの進歩で出産年齢の幅が広がっている。40代で初産というのも多くある中で、結婚年齢の上昇とともに出産年齢も上昇している。女性も30代までキャリアを上げたいとビジネスに励むと自ずと出産は30代中期になる。50年後、こうした出産に対する社会支援はダイナミックに変わっているだろう。その時、予測では年少人口が9%だが合計特殊出生率が上がれば11.4%まで年少人口が上がるとこが国の統計で示されている。その時に老年人口は36.4%である。出生率が上がることで日本の人口構成は大きく若返るのである。社会が何を支えるか、これからの日本国民の意識の情勢が必要になる。

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