2017年10月24日 (火)

『男と女』生産年齢人口が急減するのだからみんなが社会参加しなくっちゃ

貧しい国では子供を生むことは家庭の生産力を上げることだという概念があります。つまり子供でも働き手に成るという意味で、諸外国では物乞いも含めて子供は家庭を助けます。日本でも子供は街に奉公に出ていました。「丁稚奉公」や「子守」など子供の仕事はあったのです。今となっては虐げられた子供の姿と映って、良い印象は無いのですが、貧しい村から裕福な街への就職活動はあったのです。

「丁稚」をググってみますと「10歳前後で商店に丁稚として住み込んで使い走りや雑役・・・」という解説がされています。10歳というと今で言うと小学生高学年に入る頃です。江戸時代に普及した制度のようですが「丁稚」「見習い」「弟子」など様々な職業によって使い分けられていたようです。つまり子供の内から働くことの習慣を身に着けていたようです。こうした制度は昭和初期まで続いていたように思いますし、戦前は義務教育が尋常小学校の制度と結びついていたので、それにも左右されていたように思います。

まあ、いずれにしても10歳ころから子供は働いていたし、人生50年時代ですから殆ど生涯現役で働いていた人も多いと思います。病気になっても治療ができない病気が殆どですから、簡単に死ねたので老後という期間は短かったに違いありません。たまには長生きの人がいて、「ご隠居」なんて呼ばれたり「長老」として君臨したりで、高齢者は珍しかったのです。そんな時代ですから、男女の役割も明確だったのです。「男は丁稚か弟子、女は子守あるいは飯炊」など職業区分も明確だったに違いありません。

さて、現代版「丁稚」や「子守」は少子化の中では大いに社会勉強をさせて、有効な社会人として役立つために育てることを目的とするのかもしれません。そして膨れ上がった高齢者を、元気を保ちながらゆるりと使い込んでいくことが求められているのではないかと思うのです。特に長生きの女性にはもっと社会参加していただいて、「子守ババア」ならぬ「子守役」を担っていただくことが次なる社会を生み出す力になるような気もしてきます。ジジイの場合は、現役の半分でもいいから働いたつもりに成って社会貢献して、早死していくことが求められているのだろうと思うのですが、いかが・・・。

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2017年10月23日 (月)

『男と女』比較的女性の就業者は増えて、男性と交代しているかも

平成7(1995)年に生産年齢人口は8716万人のピークを迎えて、今現在は7610万人と急速に減りつつある中で絶対数としての就業者は均衡を保っています。男女別で見ると男性の就業者が次第に減りつつある中で女性がカバーしている様子が見えてきますし、最近は雇用環境の向上から、男女とも就業者数の増加が見られます。そして男女の差も少しずつ縮まっているように見えます。

全体としての雇用環境の改善は今回の衆議院選挙でも与党に良い影響を与えています。生産年齢人口がピーク時から13%も減っているのに就業者数の絶対数が減っていないというのは日本経済の堅調さを表すもので、雇用の面からも生活の安定化が見て取れます。特に2014年以降の動きは顕著で、失業率の低下のみならず高齢者の雇用や女性の雇用環境も充実していると予測できます。見方を変えると、13%減少したものを高齢者や女性の雇用で補ったということにもなります。

高齢者の雇用は年金不足という経済的な背景もあり、やむなく働いているという意識も高いと思えますが、女性全体については女性の積極的な社会進出の動きが高まっているという捉え方を多くの人がしているように見受けられます。女性の社会参加が当然のように増えていく中で、保育園の不足や雇用環境の中での育児への理解が高まっています。かつて「寿退社」などと結婚を機に辞めていく女子社員をそう呼んだのですが、「だから女子社員には仕事を任せられない」とか「女子は仕事に対する意識が低い」などと決めつけられた時代がありました。

今の女性は強くなりました。男性と同じように夜間も働きます。これほど生産年齢人口が減ってくると「女性だから」なんて言ってられなく成りました。平等という言葉は使いにくいとしても対等でなければ働く女性もやってられないのだと思うのです。

最近、通勤時に若い父親が背広姿で子供を腹に抱えて保育園に通うシーンと出会います。私の通勤時間は8時30分ころですから、二人ほどの父子に出会うのですが、実態はもっと多いのではないかと察しられます。そろそろ「イクメン」が普通になっていくのかもしれませんね。

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2017年10月14日 (土)

「イノベーションが多摩ニュータウンの未来を拓く」賃貸住宅ビジネスが天下分け目の戦いに入る。その時

団地まるごとのリノベには賃貸団地が対象になります。小田急電鉄の社宅だった座間駅前の団地をまるごと民間の賃貸団地としてリノベした「ホシノタニ団地」はその例として世間をあっと言わしました。その他、公団の賃貸住宅にはMUJIがモデル的にリノベをしていますし、東京都住宅供給公社はR不動産にイメージチェンジを委託して賃貸価値の向上を目指していますし「きぼうどおり」という仕組みを介してリノベーション住宅を展開しています。このように大規模大組織の賃貸住宅の活用は時代の流れの中で「リノベーション」を捉えてブランディングを高めています。

ただ、私の診る限り賃貸住宅のリノベは「見かけだけのリノベ」であり、本質的な建物の性能向上のリノベではありません。個別に見学した範囲で申し上げますと「ホシノタニ団地」のリノベは、サッシや壁の断熱性能を上げているものではなく、建設当時の性能をそのまま継承しています。だから建物から放出されるエネルギー損失は相変わらずで、結露やカビの発生は抑制されません。折角のリノベですから壁の断熱性能を上げたり、窓の遮熱や断熱性能の高いサッシに取り替えたりという配慮が欲しいのですが、あくまでも見かけで借り手を確保したいというソロバンが働いた結果の住戸で、私にとっては残念なリノベでした。

それと比べると居住者個人が実施する持ち家のリノベは違います。まずは「居住性」を大切にします。「冬暖かく夏は涼しく」をもっとうに、内部も断熱性能を高めます。最近では性能の良い断熱材も出回っているので外壁面のみならず床や天井にまで断熱材を施します。特に開口部は単板ガラスを真空ガラスに取り替えるのもいいでしょうし、内窓を取り付ける方法もあります。省エネに対する補助金も出ているのでリノベを機会に開口部の断熱性能を上げることは容易です。それにより結露を抑制しカビの発生を防止します。だからカビを食べるダニの発生も防ぐことができ、ダニのフンで発生する喘息やアトピーなどの病気も防ぐことができます。

住宅の居住性能向上というのはリノベの基本です。見かけのリノベも商売では成り立つのかもしれませんが、物の本質が解ってくると評判を落とします。その時に十分な性能を確保しておけば将来に渡って高い評価の賃貸住宅として使えるのに、安易な採算ベースの考え方では短命に終わるのです。いまは賃貸住宅事業の転換期のように思います。今後の住宅余剰をうけて天下分け目の戦いが始まるのですから、今しかできない建物の性能向上を基本的なルールとしたいものです。

ドイツでは足場を掛ける工事では外断熱を義務付けているようです。日本でもリノベをする場合には断熱施工を義務付けるようなルール作りが必要なのではないでしょうか。

2017年10月 2日 (月)

『男と女』子供のいる世帯を増やしましょう

最近の2014年から2015年の推移を見ますと、子供の居る世帯では人口ピークの団塊ジュニアがすでに初産時期を過ぎているのにもかかわらず子供のいる世帯の数が減らなくなっています。いやむしろ子供の居る世帯が増えていますし子供そのものの数も増えているのです。最近になり合計特殊出生率が増えているのが原因しているのでしょうか。最近の子育ての問題が浮上している関係で、子をつくることが身近になったせいでしょうか。「保育園落ちた日本死ね」は話題になりましたが、そう言った議員さんの信用も落ちてしまい、とんでもない顛末になりましたが、こうした子育ての話題が社会的関心事として広がったことは、結果として子育ての安心に繋がるものだと思えます。

こうした子育てへの関心の高まりは初産の機会を高めるようです。最近の傾向は二人児童が居る世帯より一人の世帯が増えています。新たに生まれた子育て世帯の増加のように見えます。国民生活基礎調査でいう「児童」とは、18歳未満の未婚の者ですから一人の児童のいる世帯が際立って増えていることは初産の世帯が増えているということでもあり、期待が持てます。

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2017年9月22日 (金)

『男と女』生涯未婚率のターニングポイントが経済事情だとすれば未来はどうなる

平成27年版厚生労働白書に掲載された生涯未婚率の推移には2035年までの将来推計も含まれています。そこには将来を見通した未婚率の変化が予測されていて、その原因が想定されているようです。大きなターニングポイントは昭和60(1985)年の生涯未婚率が男性優位に交代した時が最初。男女とも4%付近でまだまだ婚姻率が高かった時代です。それから男性の未婚率が鰻登りで2020年には推定値で26.6歳にまで伸びていきます。その後10年はやや安定しますが2035年に首をもたげて29.0歳に達します。

また昭和55年に始まる女性の生涯未婚率の安定化は、昭和48(1973)年(第1次)と昭和54(1979)年(第2次)に 始まり昭和55(1980)年にピークを迎えるオイルショックで景気後退が日本を襲ったことを機会に、女性の場合には安全パイを結婚に求めたことがグラフからも明らかになっているのです。でもその反動なのか男性の未婚率が増加し始めます。生涯未婚率とは、50歳時点で1度も結婚をしたことのない人の割合を言うので、それが増加し続けているということは若い世代が結婚しないということになります。初婚年齢の上昇も又、生涯未婚率を上昇させます。

生涯未婚率について女性についても男性ほどではないですが上昇します。同じように2020年推計では17.8%となり2035年には19.2%に達します。2030年の到達予測の原因については多くのニュースソースがありますので、この背景などが伝わってきます。基本は男性の婚姻に対する減退にあるようで「草食男子」「絶食男子」などと評価されて、若者の結婚願望が減退していることが主要因だという結論のようです。特に初婚年齢の上昇は男性の収入如何であるかのような説明がされています。「お金がなければ結婚できない」という理由が主だった結婚しない説明になっています。

こうした意見には女性側の原因という説明はありません。しかし、根源は女性側の意見が反映しているのではないかという気もします。女性としては「結婚」は「出産」であり「子育て」であり「教育」であり「立派な大人」に成長させることです。もちろん男性も子供の成長を考えないわけではありませんが、「子育ては金」と言う時代を生きてきて、「教育レベルも金次第」という意識を植え付けられている以上、「金のある男」を選びます。こうなると選択肢は少なくなり、年収の上がらない非正規雇用などは候補から外れて、そもそも男性側も諦め気分で「絶食男子」に変身していくのかもしれません。なんだか雌雄が共存するアブラムシや魚のような気がしてきました。いやな渡世ですね。

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2017年5月30日 (火)

『国立社会保障・人口問題研究所』ひとり親と子供となる世帯の推移:男と女の立場を考える

「離婚が少ない」「婚外子が少ない」という日本や香港のデータを観て、なんとなく「儒教社会」をイメージしてしまうのですが、日本での「一夫一婦制」は明治31年の民法改正によって制定されたので、それまでは「一夫多妻」が認められていました。「二号さん」という呼び方も財産分与の順位を表す整理番号のようで、決して「儒教の国だから云々」という説明は当たらないように思います。どちらかと言うと「家父長制度」が浸透している社会で、財産分与などのルール付を近代化というか西洋化に向けて進めている中で「夫婦」のあり方が整理され、その子の立場も明確になる中で「一夫一婦制」が浸透してきたのではないかと思うのです。

一方で戦後の「民主主義」が台頭してきたのと女性も社会進出することが現実的になり選挙も含めて「男女平等」という概念が台頭してきて、さらに最近では子供を作ることに関しては「女性優位」が言われるようになってきました。「誰の子か判るのは女性だけ」だとか「産む産まないの判断は女性だけ」と子供を作ることに関しては男性は権利を持たない時代に入ってきています。従って子育ても女性優位で男性は扶養費用を提供する立場になってしまいます。時々、産み落としたままで育てない母親もいますが、大概は女性が育てるのが通例になっています。

こうした傾向は徐々にですが進んでいくと思われます。シングルマザーは社会現象としてのみならず、こうした人達が集まり企業活動を展開したり、子育てしやすい職場を創出するなど、環境改善を積極的に進める傾向も見えています。特にテレワークで仕事が出来る時代にあって、女性の労働環境は大きく変わっています。多摩ニュータウンでも女性だけで起業する動きは20年近く前から始まっていますし、そこそこの企業として地位を築いている人の顔も浮かんできます。結婚していても子育て中の母親はドンとしていますし、どっしりと子育てしつつ社会を支えているという自信がみなぎっているようにも思えます。

そんな中、男女の子育てに関する格差は広がっていて結婚しない男性が増え、子を持たない男性が増えている現実を改めて思うと、男性の未来が気がかりです。支える者がいない男性単身者。今後の大きな社会問題にもなってきそうな気配です。従来のように会社が社員の生活を生涯支える雰囲気もないし、完璧に見捨てられてしまって、年金も十分でない男性は生活のために死ぬまで働く消耗品として社会にあふれるのではないかと気に病んでもいます。せめて中国のように「木陰で麻雀する老人」程度にはなりたいものです。

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2017年2月 6日 (月)

社会が変わっているという実感を考えてみる『40年を過ぎた分譲団地、若い世代の結婚感』

「できちゃった結婚」という言葉がありますが、言い換えると「できちゃったから結婚する」ので婚外子にはならないのが日本的な道徳精神なのかと理解できます。ここで余談ですが「婚外子(こんがいし)」というネーミングはどうもいただけませんね。ゴロも悪いし罪悪感が隠れています。「結婚」が正しくて結婚ではない「外子(そとこ)」、内(うち)ではない外(そと)の子なんだという家族規範に外れた子供だという差別意識がにじみ出ている言葉です。何かいい名称、ありませんかね。「自子(みずからこ)」「我子(わこ)」なんて女性が自立するためにも必要になってくる名称ではないかと思うのです。

まあ、そんな疑問も出てくる日本の子づくりに対する対応ですが、少なくとも限られた女性が生涯に生むことができる子供の数はどうなっているのでしょう。各国比較を観てみると、意外に少なくは無いことに気付かされます。人口学的に安定した再生産をするには合計特殊出生率を2.08まで高めなければなりません。現状の1.45を高める方法は、基本的には「子育て支援」という言葉に置き換えられますが、現在、東京都でも始まっている「待機児童ゼロ」や「私立高校の無償化」など、子育てに関する費用を低減することで世帯の貧富で学習チャンスを失うことを避けたいという思いがあります。それほど遠くない時期には実現する施策だと思っていますし、大学や大学院など広く就学のチャンスを与えるべきだと思っいます。

昨年暮れにポートランドに行きました。私立大学の構内を散策中に保育園を見つけました。大学内に子供を預かる施設が同居しています。学生寮も家族用のものがありますし、休日でも大学内にあるレストランは家族も含めて賑やかです。子育てしながら勉強もできる環境が揃っています。社会が成長していくと生涯学習の必要性は増してきます。単に趣味を楽しむだけではなく自己研鑽の専門性を身に着けて社会に再チャレンジすることも大切です。その為には学習に対する社会環境に投資を重ねてもらいたいものです。

こうした多角的な社会改革が積み重なって子供の数は増えていきます。そうなれば一人で子供を育てることにも違和感がなくなり、新たなパートナーとの関係も無理なく受け止められるのではないかと思うのです。「結婚」という社会への宣言は「パートナーシップ」を約束する契であり、「子育て」のための「できちゃった結婚」ではないと思うのですがいかがでしょう。「できちゃった結婚」だとすれば、責任の所在が明らかになった段階で「離婚」することになるのは必定です。「できちゃった結婚」するくらいなら「子育てパートナー宣言」でもして、互いに役割分担して子供が自覚して生きられるようになるまで育てる関係を続けていけばいいように思うのです。なにも戸籍に係る「結婚」をしなくてもいいように思うのですがいかがでしょう。

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2016年11月21日 (月)

50年後の多摩ニュータウン : 「少子化で子供がいなくなったなんてのは嘘」

世間で判を押したように揶揄される多摩ニュータウンである。なんだかヘイトにも思える思い込みや誤解が常識であるように吹聴される。「少子化で子供がいなくなった」「高齢化と老朽化が押し寄せる」などと簡単に言い告げられてあたかも真実の如き噂が流れる。確かに40年も経つ団地には子供が少なくなった。しかし新築には若い世代が集中するし、保育園を併設しないとマンションも売れない時代。共働きの過程だから、比較的駅近のマンションや団地には子供の声は途絶えていないし溢れている。

嘗ての専業主婦の居た時代ではない。共働きだし子供は学童保育園や塾、スクールに行っている。遊びは外遊びではなくテレビゲームで家に篭っている。たとえ野球やサッカーをしていても管理されていて、広場で自主的な三角ベースなどはない。すべて大人が管理したグラウンドでクラブ活動をやっている。日曜日などは親がかりで整備されたグラウンドやサッカー場は弁当持った親子でごった返している。

今の若い世代は嘗ての子沢山の時代でもなく、一人っ子の家庭も多い。経済的な子育てが大変だから出生率は減っているし子供の数も減った。さらに出産を受け持つ女性の数が減り続けているのだから相対的に子供の数も減る。ただし、それは多摩ニュータウンのみの問題ではなく全国一律の問題なのだということを認識したい。

子育て世帯は殆どが共働きなので、みんなが駅近の保育園に入園させるので「子供の声は保育園」にあふれている。私の事務所は保育園の隣りにあるので、いつも朝の保育園送りは賑やかだ。通勤の途中で子供を送り届け、しごとに赴く。ときには祖父や祖母が送り届けている姿も見受ける。日常的にこうした、子供を預けてすぐに通勤するというスタイルが日常的に行われているのである。

同じ保育園でも駅から離れた団地周辺では子供の数が減っているので閉鎖するという保育園もある。一方で駅前には新規に保育園が整備されているという現実なのである。多摩市では保育園の受け入れは、数としては間に合っているが、ニーズが集中する区域が偏っているのである。多摩ニュータウン開発初期に供給した保育園はその役割を終えている。

今、駅前で子供を預けて、昼間は空きの多い保育園で保育して、子供の受け取りは住宅地の中の保育園に迎えに行くというスタイルも検討されている一部自治体では行われているらしい。子供のデリバリーが時代にあったシステムなのかもしれないが、アメリカのように保育は過程でナニー(保育請負人)に頼むってのもありかもしれない。

2016年8月29日 (月)

50年後の日本「子供の貧困というリスク」

全体に子供の数が減っていく中で「貧困率」は上がっているが「貧困数」はそれほど変わっていない状況だと認識している。「要保護児童生徒援助費補助金及び特別支援教育就学奨励費補助金交付要綱」が昭和62年に制定されてから平成6年まで毎年のように改正され平成11年まで改正無く続いた後、またまた毎年、あるいは隔年で改正が続いている。改正の内容については使い勝手のいい要綱にするための改正だと思われるので、次第に就学援助の数が伸びていくのも理解できる。

日本の場合、少子化に対する国の対応は基本的に育児や教育に関する支援となり、生活保護ではないので貧困家庭になると給食費の確保もままにならないなど、十分な食生活が家庭で確保できない世帯も顕在化している。長年の不況に拠る就職難などで収入を確保できない世帯も増えた中で、就学援助の件数も増加を続けている。就労の確保については人口減少社会の中では働ける人材不足が発生することと、国内産業の拡大に拠る就労機会の増加により現在では失業率も一時の5%レベルから3%レベルまで下がっているので、総じて緩和されていると観ることが出来る。

とはいえ、日本にも所得格差の先鋭化が進んでいてそれに伴い「子供の貧困」がクローズアップされてきた。「子育ては親の責任」の時代は終わっている。「子育ては社会の責任」という時代に入っているという認識を持たなければならない。人口減少社会において子供は財産であり、そのためにも子育て世帯に負担を押し付けてはならない。「子宝(こだから)」という言葉は過去から変わらない。一時的な産児制限が日本の人口構成をいびつにしたことを改めて反省し、子育てが社会の義務として認識することで安心して子育てできる環境を生み出したい。

こうした社会に適応する施策として「子ども手当」がある。『15歳以下の子供を扶養する保護者等に対し手当(金銭)を支給する制度で、2010年(平成22年)4月1日から実施され、2012年(平成24年)4月1日をもって児童手当の名称に戻された。ウィキペディア』生活を支える費用として国や地方が直接支援する精度はさらに充実する必要があるが、子供が成長して大学に進んだ時にもアルバイトはしたとしても学費が無料になるなど、基本的な教育費に対する支援をしさらにいつでも進学が出来る仕組みがあれば、必要に応じて就労したり就学したり出来る。入学も学力試験での合否ではなく、「やる気の評価」で入学させて、必要な単位をとったらは卒業できるという実力主義を採用するのも方法である。

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2016年8月26日 (金)

50年後の日本「生活保護というリスク」

「高齢者の生活保護率が最高」になったとの報道に印象としてどんどん高齢者の生活保護者が増えていき、年金基金が不足するという不安が過ぎった。そこで生活保護世帯の伸びについて調べて観たのだが、生活保護受給者の伸びそのものは停滞して、総数の伸びがなくなった状況が続いていることが解った。これについては最近の人材不足などが奏功して、勤労者の環境整備は整って来て一般の生活保護受給者は減り、高齢化に拠る年金不足世帯の増加とともに高齢者の受給率が顕在化したという状況に見える。

確かに高齢者の受給者は増えていると思われるが総額として税負担を押し上げていない状況であり、生活保護施策全体の帳尻はあっているようにも見受けられる。このまま生活保護受給者数の推移が安定するとすれば保護費の目算も容易である。特に高齢者の場合は年金差額の支給になり、国民年金があれば補填するにも生活費全部ではなくなる。また、年齢層からすると現状の高齢者は無年金世帯は少ないと思われるので、今後、どんどん生活保護額が増加するとも考えにくい。今のうちに生活保護の仕組みを高齢者のみならず、若い世代への支援金などと統合した生活支援資金として確立することが望まれる。

先進国、日本の中でも子育ての貧困として「欠食児童」や「育児放棄」などの問題が浮き彫りになるにつけ、子育ても国家的な施策として、あるいは地域の支援による生活支援をすすめる必要がある。子育てはいわゆる「集団育児」「集団教育」の時代になっている。当然、教育費や就労前の研修費などの費用や生活費など総合的な保護が課題になる。すでにデンマークなどでは15歳までの子供に対して生活保護費が支給されており、子育てに対する費用負担を公的に実施する制度改革が望まれる。

少子化に対する施策として基本的に子育て負担は国が責任を負うという原理原則を定め、それについて国の役割と地方の役割を明確にして推進することで50年後の日本を想定することが出来るはずである。何も施策なしでは人口減少は止まらない。今後の危機は就労期の若者の減少であり、働く世代が極端に減少しないように少子化の抑制を図ることが未来の安心を造る方法だと思う。だからこそ、今ある資産を若い世代の教育に費やし、後世の世代構成をバランスの取れたものにすることが必要なのだ。それにより「生活保護というリスク」の呪縛から開放されることになる。

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http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_general-seikatsuhogo

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