2016年11月 5日 (土)

ちょっと目先を変えて「チンドン屋」。I do something new a little, and, "chin dong shop".

日本にも「街の軍楽隊」がある。それが「チンドン屋」だ。

私の子供心には店のオープンだというと必ずチンドン屋が街を回ってきた。江戸時代から伝わっているのか男性は町人曲げや女は丸髷、金や太鼓で新規開店の店を宣伝する。まあ、広告屋だ。特にパチンコ屋やスーパーのオープンには雇われて土日のアルバイトとして成立していたようだ。

写真は青梅市のレトロなイベントで登場していた。時代に照らしてみるとすでに人気を失っているチンドン屋だが、まだまだスタイルとしての資産が残っていて、現役で活動するグループがいるのだと改めて認識した思いがある。

I do something new a little, and, "chin dong shop".

There is also "military band in the town" in Japan. That's "chin dong shop".

When he says opening in a store, a chin dong seller has come to my childish mind via a town certainly. The man is transmitted from the Edo Period or merchant bends and women are a married woman's coiffure, money and a drum, and advertises a store of new opening. Oh, I'm a huckster. It seems to have been employed at opening of a pinball saloon and a supermarket and formed as a part-time job on the weekend in particular.

A picture appeared by a retrospective event in Oume-shi. When it'll be lit up at the time, it's the chin dong seller who loses popularity already, but property as a style is still left, and there is a thought that I recognized once more that I needed the group which comes into action actively.

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2016年10月27日 (木)

50年後の多摩ニュータウン : いつごろから「和太鼓」が流行り始めたのか

戦後、日本がアメリカ化し始めて何でもかんでもアメリカナイズしていった時期。それはテレビとともに普及していったと記憶している。テレビ番組はアメリカの番組が輸入されて、茶の間に普及した。団塊世代の私が知っているのは「名犬ラッシー」や「カートライト兄弟」「ルート66」「ライフルマン」「0011ナポレオン・ソロ」「逃亡者」「コンバット」「刑事コロンボ」「奥様は魔女」など枚挙にいとまがない。

その後、そんなアメリカドラマに影響された日本のドラマが登場する。「事件記者」「快傑ハリマオ」「魔法使いサリー」「コメットさん」などが続々と現れてドラマが日本化されていく。こうなると日本が日本らしくあるためのNHKの朝ドラが始まり、昭和41年の「おはなはん」なんてのは田舎住まいの私にも記憶に残っているし、樫山文枝という女優を覚えたのも初めてのこと。ちなみに多摩ニュータウンの街開きが昭和46年3月なので、その時のドラマは「虹」、仲谷昇と南田洋子の主演だそうで、テレビもない生活を送っていたので何とも言えないが基本的にはアメリカ化から日本化に変身していた過程ではないかと考えている。

そして話を表題に戻すと、多摩ニュータウンに「和太鼓」が登場する話だが、まずは1966年(昭和41年)プロの和太鼓集団が大阪で生まれたのがルーツだとされているようだ。東京でも相次いで組織化され各派が競い合う形で地方に分散して発生している。多摩ニュータウンは4市に跨っているので、ホームページを当たると「多摩太鼓愛好会」「和太鼓集団鼓麟」「和太鼓雅武者」「和太鼓の会鼓遊」などが見られるが、極めつけは2016年9月25日 に多摩センターのパルテノン多摩で行われた「多摩太鼓祭り」で多摩地区の和太鼓団体 12団体 揃い組で和太鼓の演奏をしたというのはまさに現代の多摩ニュータウンでの和の文化が花開いている感がある

写真は南大沢駅に隣接したアウトレットモールのメインロードでの演奏。チームの名は覚えていないが勇壮な面構えで聴衆をひきつけている演技はすでにプロの域に達している。周囲の街並みはイタリアを思わせる風景だが、それに太鼓がよく似合う。時にはピアノやバイオリンの演奏もあるのだが、太鼓の響きも周囲の景観とマッチするという日本的風景である。

太鼓のチームは1966年からのようだから、それから5年後の1971年(昭和46年)、多摩ニュータウンの街開きには当初から太鼓の音が轟いていたように思えるのだがいかがだろう。

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2016年3月19日 (土)

ちょっと目先を変えて、「古式ゆかしき」。An ancient rite does something new, and "is slightly admirable".

宮島の社殿では厳かに結婚の儀が催されていた。数年前に訪ねた日光の東照宮でも白無垢の和装に身を纏った神前結婚式を垣間見たが、厳島神社でも同様に結婚式が行われていた。多くの観光客が遠方から様子を観ていて、まさに観光地として最高のショーが繰り広げられているのが印象的だった。社殿には雅楽が奏でられ、あたり一体は音楽に包まれて日本の伝統を改めて感じた。一時期の結婚式場での結婚というトレンドが伝統的な神社での結婚式に戻りつつあるのかと思うのだが、全てではないにしろ多様化が進んでいることは確かで、日本文化が改めて活用されていることが嬉しくも思った次第である。

私の体験でも神社での結婚式は、兄の結婚式が最後で、丸亀市の山北八幡宮で結婚式を終えて披露宴は市民会館に場所を変えて行ったように記憶している。もう50年程前の話だから時代は大きく違っていたので、当時の正統派がどのような結婚式を挙げていたかは定かではないが、時代は半世紀で戻ってくるのかもしれない。

An ancient rite does something new, and "is slightly admirable".

A ceremony of marriage was held solemnly at a main hall of the shrine in Miyajima. I peeped at a wedding before the altar which also fits a body on dressing in kimono of a white kimono at Tosho-gu in Nikko at which I visited several years ago, Itsukushima-jinja, like, a wedding was performed. Many tourists were seeing how things are from a distant place, and it was striking that the best show is developed as a tourist spot surely. Court music of Japan was played in a main hall of the shrine and the vicinity unity was wrapped in music, and Japanese tradition was felt once more. I think a trend as marriage at a wedding hall in a time is returning to a wedding at a traditional shrine, it's certain that diversification is developed even if it isn't everything, and it's also the order of which I thought that Japanese culture is utilized once more happily.

A wedding at a shrine remembers my experience as elder brother's wedding was the end and a wedding reception finished a wedding in Yamakita-hachiman-gu in Marugame-shi, and adjourned to a civic hall and went. Because it was talk before about other 50 years, the time was big and different, so it isn't certain what kind of wedding ceremony an orthodox school in those days held, but it may be the one by which the time returns in half a century. (エキサイト翻訳より)

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2012年11月17日 (土)

プシケとロゴス: 『青年は荒野をめざす』か?

『青年は荒野をめざす』は、ザ・フォーク・クルセダーズの8枚目のシングル曲。1968年、五木寛之作詞・加藤和彦作曲として世に登場した楽曲。私は19歳、まさに青年であり団塊世代に向けたテーマ曲だった。作詞が五木寛之というのがふるっている。

1.

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて

さらば恋人よ なつかしい歌よ友よ

いま Hum.Hum.

青春の 河を越え

青年は 青年は荒野をめざす

2.

もうすぐ夜明けだ 出発の時がきた

さらばふるさと 想い出の山よ河よ

いま Hum.Hum.

朝焼けの 丘を越え

青年は 青年は荒野をめざす

3.

みんなで行くんだ 苦しみを分けあって

さらば春の日よ ちっぽけな夢よ明日よ

いま Hum.Hum.

夕焼けの 谷を越え

青年は 青年は荒野をめざす

4.

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて

さらば恋人よ なつかしい歌よ友よ

いま Hum.Hum.

青春の 河を越え

青年は 青年は荒野をめざす

歌詞を見ると特徴がある。1番と4番は同じフレーズで、『ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて』となっている。言い換えると「孤立して不幸を背負って」という意味になる。2番では『出発の・・・思い出の山よ河よ』なので、地方から荒野を目指したことになる。では砂漠やインディアンのいるグランドキャニオンに冒険に出たのかというとそうではなく、これは大都会に出ていくことを言っている。大都会、すなわち東京か・・・。

今、この楽曲を前にして、懐かしくも思うが、現在進行形の青年に対しての『荒野』とは東京ではない。実のところ現在の青年の多くは東京にいて『荒野』を見つめている。あの時『東京砂漠』を目指した青年の子どもたちが今、『荒野』をめざすならば、ニューヨークかパリかとも思えない。ましてや北京でもモスクワでもあるまい。では出て行かないで、その地にとどまっているのかといえばそうではないようだ。青年にとっての『荒野』はなくなったのかと早とちりしがちだが、実はグローバルに散っているという印象を受ける。特定の海外ではなく、分散型のグローバル社会に生きているのではないかと思う。むしろ海外とか日本とかに拘らない生活空間をイメージしているように思う。多くの青年が海外体験を持つようになっている。こうした体験者が若者に刺激を与え、更なるチャレンジで海外に住もうと移動する青年が増えている。

こうした青年は嘗ての青年とは違う『荒野』を目指していて、その結果としてグローバルな社会を創りあげる準備をしているように思う。嘗ての青年が大都市東京、そして日本を作り上げたように、これからの青年は新しい日本を作りあげ、世界を創りあげるように思う。その中で『青年は荒野をめざす』のだと・・・。

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